第14章 — 讃玄贊玄
1見ても、見えない
視之不見名曰夷,聽之不聞名曰希,搏之不得名曰微。此三者,不可致詰,故混而為一。
見ても見えないものを夷(い)と言い、聴いても聞こえないものを希(き)と言い、掴んでも掴めないものを微(び)と言う。この三つは問い詰めることができないので、混ざり合って一つになる。
注 6
無狀無象,無聲無響,故能無所不通,無所不往,不得而知,更以我耳目體不知為名,故不可致詰,混而為一也。
姿も無く形も無く、音も無く響きも無い。だから通じないところが無く、行かないところが無い。知ることができないので、改めて私の耳と目と体が知りえないものをもって名とした。だから問い詰めることができず、混ざり合って一つになると言った。
無色曰夷。言一無采色,不可得視而見之。
色が無いことを夷と言う。一(いつ)には彩りも色も無いので、見ても見ることができないという意味である。
無聲曰希。言一無音聲,不可得聽而聞之。
音が無いことを希と言う。一には音も声も無いので、聴いても聞くことができないという意味である。
無形曰微。言一無形體,不可摶持而得之。
形が無いことを微と言う。一には体が無いので、握り掴んで得ることができないという意味である。
三者,謂夷、希、微也。不可致詰者,夫無色、無聲、無形,口不能言,書不能傳,當受之以靜,求之以神,不可問詰而得之也。
三つとは夷・希・微を言う。問い詰めることができないとは、色も無く音も無く形も無いので、口では言えず書では伝えられず、静けさによって受け、神(しん)によって求めるべきであり、問い詰めて得られるものではないということである。
混,合也。故合於三名之為一。
混とは合わせることである。だから三つの名を合わせて一と言う。
2形の無い形
其上不皦,其下不昧。繩繩不可名,復歸於無物。是謂無狀之狀,無物之象,
その上は明るくなく、その下は暗くない。延々と続いて名づけられず、再び何も無いところへ帰る。これを、形の無い形、物の無い象(かたち)と言う。
注 7
欲言無邪,而物由以成。欲言有邪,而不見其形,故曰,無狀之狀,無物之象也。
無いと言おうとすれば物がこれによって成り、有ると言おうとすればその形が見えない。だから、形の無い形、物の無い象と言った。
言一在天上,不皦。皦,光明。
一が天の上に有っても明るくないという意味である。皦(きょう)とは、光って明るいことである。
言一在天下,不昧。昧,有所闇冥。
一が天の下に有っても暗くないという意味である。昧(まい)とは、暗く闇に沈んだところが有ることである。
繩繩者,動行無窮級也。不可名者,非一色也,不可以青黃白黑別,非一聲也,不可以宮商角徵羽聽,非一形也,不可以長短大小度之也。
延々と続くとは、動き行くことに際限が無いということである。名づけられないとは、一つの色ではないので青・黄・白・黒で分けられず、一つの音ではないので宮・商・角・徴・羽として聴けず、一つの形ではないので長短や大小で測れないということである。
物,質也。復當歸之於無質。
物とは質(しつ)である。再び質の無いところへ帰るべきである。
言一無形狀,而能為萬物作形狀也。
一は形が無いのに、万物のために形を作ってやれるという意味である。
一無物質,而為萬物設形象也。
一は物としての質が無いのに、万物のために象を設けてやる。
3ぼんやりとして、はっきりしない
是謂惚恍。
これを、ぼんやりとしてはっきりしないと言う。
注 2
不可得而定也。
決めて定めることができない。
言一忽忽恍恍者,若存若亡,不可見之也。
一はぼんやりとかすんで、有るようでも無いようでもあり、見ることができないという意味である。
4古の道を執って、今を治める
迎之不見其首,隨之不見其後。執古之道,以御今之有。
迎えてもその頭が見えず、追ってもその後ろが見えない。古(いにしえ)の道を執(と)って、今有るものを治める。
注 4
有,有其事。
有とは、その事が有るということである。
一無端末,不可預待也。除情去欲,一自歸之也。
一には端も末も無いので、あらかじめ待ち受けることができない。情を除き欲を去れば、一はおのずから帰ってくる。
言一無影跡,不可得而看。
一には影も跡も無いので、見ることができないという意味である。
聖人執守古道,生一以御物,知今當有一也。能知古始,是謂道紀。人能知上古本始有一,是謂知道綱紀也。
聖人は古の道を執り守り、一を生んで物を治めるので、今も一が有るべきことを知る。「古の始まりを知ることができる。これを道の紀(のり)と言う」とは、人が遠い昔の本(もと)の始まりに一が有ったことを知れば、それを道の綱紀(こうき)を知ると言うのだ、ということである。
5道の紀(のり)
能知古始,是謂道紀。
古の始まりを知ることができる。これを道の紀(のり)と言う。
注 1
無形無名者,萬物之宗也。雖今古不同,時移俗易,故莫不由乎此以成其治者也。故可執古之道,以御今之有。上古雖遠,其道存焉,故雖在今,可以知古始也。
形も無く名も無いものが、万物の宗(もと)である。今と古は同じではなく、時は移り風俗は変わるが、これによってその治めを成し遂げないものは無い。だから、古の道を執って今有るものを治めることができる。遠い昔は隔たっていても、その道は残っているので、今に有りながら古の始まりを知ることができる。