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第四十七章 — 鑑遠鑑遠

道徳経(道と徳を説く経典) 道德經 · 老子、注釈 王弼・河上公 · 紀元前4〜3世紀(王弼の注は3世紀) · 段落 4 · 漢字 36字 · 朗読 0.1分

道徳経(道と徳を説く経典) 徳経 八十一章、五千字。墓から出た帛書本は今日用いる版本と字が異なり、同じ句をめぐって読みの分かれる箇所が多い。王弼は哲学として、河上公は治めと養生として読む。

1戸を出ないでも天下を知る

不出戶,知天下;不闚牖,見天道。

戸を出ないでも天下を知り、窓からのぞかないでも天の道を見る。

注 3
王弼

事有宗,而物有主,途雖殊而同歸也,慮雖百而其致一也。道有大常,理有大致,執古之道,可以御今,雖處於今,可以知古始,故不出戶闚牖而可知也。

事には宗(もと)があり、物には主(あるじ)がある。道は異なっても帰るところは同じであり、思いは百あってもその至るところは一つである。道には大いなる常があり、理には大いなる至りがあるので、古(いにしえ)の道を執(と)って今を治めることができ、今にいながら古(いにしえ)の始まりを知ることができる。だから、戸を出たり窓からのぞいたりしないでも知ることができるのである。

河上公

聖人不出戶以知天下者,以己身知人身,以己家知人家,所以見天下也。

聖人が戸を出ないでも天下を知るのは、自分の身で他人の身を知り、自分の家で他人の家を知るからであり、そうやって天下を見るのである。

河上公

天道與人道同,天人相通,精氣相貫。人君清淨,天氣自正,人君多欲,天氣煩濁。吉兇利害,皆由於己。

天の道は人の道と同じであり、天と人は互いに通じ、精気が互いに貫いている。君主が清らかで静かであれば天の気はおのずから正しく、君主に欲が多ければ天の気は煩わしく濁る。吉と凶、利と害は、すべて自分から出てくる。

2遠く出て行くほど知ることは少ない

其出彌遠,其知彌少。

遠く出て行くほど、知ることは少なくなる。

注 2
王弼

無在於一,而求之於眾也,道視之不可見,聽之不可聞,搏之不可得,如其知之,不須出戶,若其不知,出愈遠愈迷也。

一つにあるのではなく、多くのものに求めるからである。道は見ても見ることができず、聴いても聞くことができず、掴んでも得ることができない。それを知っているなら戸を出る必要がなく、知らないなら、出て行くほど遠ざかり、遠ざかるほど迷う。

河上公

謂去其家觀人家,去其身觀人身,所觀益遠,所見益少也。

自分の家を離れて他人の家を見、自分の身を離れて他人の身を見るので、見るところが遠くなるほど見えるものが少なくなるという意味である。

3行かないでも知る

是以聖人不行而知,不見而名,

だから聖人は行かないでも知り、見ないでも名づける。

注 3
王弼

得物之致,故雖不行而慮可知也。識物之宗,故雖不見,而是非之理可得而名也。

物の至るところを得ているので、行かないでも思いによって知ることができる。物の宗(もと)を知っているので、見ないでも是非の理を得て名づけることができる。

河上公

聖人不上天,不入淵,能知天下者,以心知之也。

聖人は天に上らず、淵(ふち)に入らないのに天下を知ることができるのは、心で知るからである。

河上公

上好道,下好德;上好武,下好力。聖人原小知大,察內知外。

上が道を好めば下は徳を好み、上が武を好めば下は力を好む。聖人は小さなことをたどって大きなことを知り、内を察して外を知る。

4為さないでも成る

不為而成。

為(な)さないでも成る。

注 2
王弼

明物之性,因之而已。故雖不為而使之成矣。

物の性(さが)に明らかで、それに従うだけである。だから、為さないでも成らせるのである。

河上公

上無所為,則下無事,家給人足,萬物自化就也。

上に為すところがなければ下に事(こと)がなく、家々は足り人々は満ち、万物はおのずから化(か)して成っていく。