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第五十七章 — 淳風淳風

道徳経(道と徳を説く経典) 道德經 · 老子、注釈 王弼・河上公 · 紀元前4〜3世紀(王弼の注は3世紀) · 段落 5 · 漢字 88字 · 朗読 0.4分

道徳経(道と徳を説く経典) 徳経 八十一章、五千字。墓から出た帛書本は今日用いる版本と字が異なり、同じ句をめぐって読みの分かれる箇所が多い。王弼は哲学として、河上公は治めと養生として読む。

1事のないことによって天下を取る

以正治國,以奇用兵,以無事取天下。

正しさによって国を治め、奇(あや)しさによって兵を用い、事(こと)のないことによって天下を取る。

注 4
王弼

以道治國則國平,以正治國則奇正起也,以無事則能取天下也。上章云:其取天下者,常以無事,及其有事,又不足以取天下也。故以正治國則不足以取天下,而以奇用兵也。夫以道治國,崇本以息末,以正治國,立辟以攻末,本不立而末淺,民無所及,故必至於奇用兵也。

道によって国を治めれば国は平らかであり、正しさによって国を治めれば奇(あや)しさと正しさが起こり、事のないことによってこそ天下を取ることができる。前の章に「天下を取るのは常に事のないことによるのであり、事があるようになれば、やはり天下を取るには足りない」とあった。だから、正しさによって国を治めれば天下を取るには足りず、奇しさによって兵を用いることになる。そもそも道によって国を治めるのは、本(もと)を崇(たか)めて末(すえ)を息(や)めることであり、正しさによって国を治めるのは、法を立てて末を攻めることである。本が立たず末が浅ければ、民には及ぶところがない。だから必ず、奇しさによって兵を用いるところに至るのである。

河上公

以,至也。天使正身之人,使有國也。

以とは至ることである。天が身を正した人を遣わして、国を持たせるのである。

河上公

奇,詐也。天使詐偽之人,使用兵也。

奇とは偽ることである。天が偽り欺く人を遣わして、兵を用いさせるのである。

河上公

以無事無為之人,使取天下為之主。

事がなく為すことのない人に、天下を取らせてその主(あるじ)とするのである。

2民に利ある器が多ければ国家は暗くなる

吾何以知其然哉?以此。天下多忌諱,而民彌貧;民多利器,國家滋昬;

私は何によってそうであることを知るのか。これによってである。天下に忌み憚(はばか)ることが多ければ民はいよいよ貧しくなり、民に利(り)ある器が多ければ国家はいよいよ暗くなり、

注 4
王弼

利器,凡所以利己之器也。民强則國家弱。

利ある器とは、およそ自分を利するための器である。民が強ければ国家は弱くなる。

河上公

此,今也。老子言,我何以知天意然哉,以今日所見知。

此とは今日のことである。老子がいうには、私は何によって天の意(こころ)がそうであることを知るのか。今日見るところによって知るのである。

河上公

天下謂人主也。忌諱者防禁也。令煩則奸生,禁多則下詐,相殆故貧。

天下とは君主をいう。忌み憚ることとは、防ぎ禁じることである。令が煩わしければ姦(かん)が生まれ、禁じることが多ければ下は偽り、互いに危うくするので貧しくなる。

河上公

利器者,權也。民多權則視者眩於目,聽者惑於耳,上下不親,故國家昏亂。

利ある器とは権勢である。民に権勢が多ければ、見る者は目が眩(くら)み、聴く者は耳が惑って、上下が親しくならない。だから国家は暗く乱れるのである。

3技と巧みさが多ければ奇しい物が起こる

人多伎巧,奇物滋起;

人に技(わざ)と巧みさが多ければ、奇(あや)しい物がいよいよ起こり、

注 3
王弼

民多智慧則巧偽生,巧偽生則邪事起。

民に知恵が多ければ巧みさと偽りが生まれ、巧みさと偽りが生まれれば邪(よこしま)な事(こと)が起こる。

河上公

人謂人君、百里諸侯也。多技巧,謂刻畫宮觀,雕琢章服,奇物滋起,下則化上,飾金鏤玉,文繡彩色日以滋甚。

人とは君主や、百里を領する諸侯をいう。技と巧みさが多いとは、宮殿や楼観を刻み描き、礼服を彫り磨くことをいう。奇しい物がいよいよ起こり、下が上に倣(なら)って化(か)すので、金を飾り玉を彫り、錦に刺繍し色を染めることが、日ごとに甚だしくなる。

河上公

法物,好物也。珍好之物滋生彰著,則農事廢,飢寒並至,而盜賊多有也。

法物とは良い物のことである。珍しく良い物がいよいよ生まれて目立つようになれば、農事が捨てられ、飢えと寒さがともに至るので、盗賊が多くなるのである。

4法令が明らかになるほど盗賊は多くなる

法令滋彰,盜賊多有。

法令が明らかになるほど、盗賊は多くなる。

注 1
王弼

立正欲以息邪,而奇兵用;多忌諱欲以恥貧,而民彌貧;利器欲以强國者也,而國愈昬多。皆舍本以治末,故以致此也。

正しさを立てて邪(よこしま)を息(や)めようとすれば奇(あや)しい兵が用いられ、忌み憚ることを多くして貧しさを恥じさせようとすれば民はいよいよ貧しくなり、利ある器によって国を強くしようとすれば国はいよいよ暗く乱れる。どれも本(もと)を捨てて末(すえ)を治めたために、こうなったのである。

5私が為すことがなければ民はおのずから化す

故聖人云﹕「我無為而民自化,我好靜而民自正,我無事而民自富,我無欲而民自樸。」

だから聖人はいった。「私が為すことがなければ民はおのずから化(か)し、私が静かさを好めば民はおのずから正しくなり、私に事(こと)がなければ民はおのずから富み、私に欲がなければ民はおのずから樸(あらき)のようになる。」

注 6
王弼

上之所欲,民從之速也。我之所欲,唯無欲而民亦無欲而自樸也。此四者,崇本以息末也。

上が欲するところには、民が速やかに従う。私の欲するところがただ欲のないことであれば、民もまた欲がなく、おのずから樸(あらき)のようになる。この四つは、本(もと)を崇めて末(すえ)を息めることである。

河上公

謂下事也。

下に述べる事(こと)をいう。

河上公

聖人言:我修道承天,無所改作,而民自化成也。

聖人がいうには、私が道を修めて天を承(う)け、改め作るところがなければ、民はおのずから化(か)して成るのである。

河上公

聖人言:我好靜,不言不教,而民自忠正也。

聖人がいうには、私が静かさを好み、語らず教えなければ、民はおのずから忠(まこと)あり正しくなるのである。

河上公

我無徭役徵召之事,民安其業故皆自富也。

私に賦役(ぶえき)や召し集める事(こと)がなければ、民はその生業(なりわい)に安んじるので、みなおのずから富むのである。

河上公

我常無欲,去華文,微服飾,民則隨我為質樸也。聖人言:我修道守真,絕去六情,民自隨我而清也。

私が常に欲なく、華やかな文(あや)を捨て、衣服や飾りを減らせば、民は私に倣(なら)って質樸(しつぼく)になる。聖人がいうには、私が道を修めて真(しん)を守り、六つの情を断ち去れば、民はおのずから私に倣って清らかになるのである。