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第63章 — 恩始恩始

道徳経(道と徳を説く経典) 道德經 · 老子、注釈 王弼・河上公 · 紀元前4〜3世紀(王弼の注は3世紀) · 段落 4 · 漢字 79字 · 朗読 0.3分

道徳経(道と徳を説く経典) 徳経 八十一章、五千字。墓から出た帛書本は今日用いる版本と字が異なり、同じ句をめぐって読みの分かれる箇所が多い。王弼は哲学として、河上公は治めと養生として読む。

1無為を為し無事を事とする

為無為,事無事,味無味。

無為を為し、無事を事とし、味のないものを味わう。

注 4
王弼

以無為為居,以不言為教,以恬淡為味,治之極也。

無為をもって居どころとし、言わないことをもって教えとし、淡々としていることをもって味とする。治めの極まりである。

河上公

因成修故,無所造作。

でき上がっているものに因って古いものを修めるので、作り出すところがない。

河上公

預有備,除煩省事也。

あらかじめ備えておいて、煩わしさを除き事を省く。

河上公

深思遠慮,味道意也。

深く思い遠くはかって、道の意を味わう。

2恨みには徳をもって報いる

大小多少,報怨以德。

大きかろうと小さかろうと、多かろうと少なかろうと、恨みには徳をもって報いる。

注 3
王弼

小怨則不足以報,大怨則天下之所欲誅,順天下之所同者,德也。

小さな恨みは報いるに足らず、大きな恨みは天下が討とうとするところである。天下が同じくするところに従うのが、徳である。

河上公

陳其戒令也。欲大反小,欲多反少,自然之道也。

その戒めの令を述べたのである。大きくしようとすれば小さいところへ返り、多くしようとすれば少ないところへ返る。おのずから然る道である。

河上公

修道行善,絕禍於未生也。

道を修め善を行って、災いを生じないうちに断つ。

3聖人でさえこれを難しいこととする

圖難於其易,為大於其細;天下難事必作於易,天下大事必作於細。是以聖人終不為大,故能成其大。夫輕諾必寡信,多易必多難。是以聖人猶難之,

難しいことはそれがまだ易しいうちに図り、大きいことはそれがまだ細かいうちに為す。天下の難しい事はかならず易しいところから起こり、天下の大きな事はかならず細かいところから起こる。だから聖人はついに大きなことを為さず、それゆえにその大きさを成し遂げることができる。そもそも軽々しく承諾すればかならず信が薄く、易しいことが多ければかならず難しいことが多い。だから聖人でさえこれを難しいこととし、

注 8
王弼

以聖人之才猶尚難於細易,況非聖人之才而欲忽於此乎,故曰,猶難之也。

聖人の才をもってしてもなお細かく易しいことを難しいこととするのに、まして聖人の才でない者がこれをおろそかにしようとしてよいだろうか。だから、なおこれを難しいこととすると言ったのである。

河上公

欲圖難事,當於易時,未及成也。

難しい事を図ろうとするなら、易しい時に、まだ成るに至らないうちにすべきである。

河上公

欲為大事,必作於小,禍亂從小來也。

大きな事を為そうとするなら、かならず小さいところから起こすべきである。災いと乱れは小さいところから来る。

河上公

從易生難,從細生著。

易しいところから難しさが生じ、細かいところから目立つものが生じる。

河上公

處謙虛,天下共歸之也。

謙り虚しいところに処るから、天下がともにそこへ帰する。

河上公

不重言也。

言葉を重んじないのである。

河上公

不慎患也。

患いを慎まないのである。

河上公

聖人動作舉事,猶進退,重難之,欲塞其源也。

聖人は動いて事を起こすとき、なお進んだり退いたりして、重んじ難しいこととする。その源を塞ごうとするのである。

4それゆえついに難しいことがない

故終無難矣

それゆえ、ついに難しいことがない。

注 1
河上公

聖人終生無患難之事,猶避害深也。

聖人は一生のあいだ患いや難しい事がない。害を避けることが深いからである。