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第66章 — 後己後己

道徳経(道と徳を説く経典) 道德經 · 老子、注釈 王弼・河上公 · 紀元前4〜3世紀(王弼の注は3世紀) · 段落 1 · 漢字 76字 · 朗読 0.3分

道徳経(道と徳を説く経典) 徳経 八十一章、五千字。墓から出た帛書本は今日用いる版本と字が異なり、同じ句をめぐって読みの分かれる箇所が多い。王弼は哲学として、河上公は治めと養生として読む。

1争わないから誰も争うことができない

江海所以能為百谷王者,以其善下之,故能為百谷王。是以欲上民,必以言下之。欲先民,必以身後之。是以聖人處上而民不重,處前而民不害。是以天下樂推而不厭,以其不爭,故天下莫能與之爭。

江や海があらゆる谷の王となれる理由は、よく下るからであり、それゆえにあらゆる谷の王となることができる。だから民の上に立とうとすれば、かならず言葉において下らなければならない。民の先に立とうとすれば、かならず身を後にしなければならない。だから聖人は上にあっても民はそれを重荷とせず、前にあっても民はそれを害とは思わない。だから天下は喜んで推し上げて厭わない。争わないから、天下の誰もこれと争うことができない。

注 11
河上公

江海以卑,故眾流歸之,若民歸就王。

江や海は低いから、多くの流れがそこへ帰する。民が王のもとへ帰り就くようなものである。

河上公

以卑下,故能為百谷王也。

卑しく下るから、あらゆる谷の王となることができる。

河上公

欲在民之上也。

民の上にあろうとするのである。

河上公

法江海處謙虛。

江や海に倣って、謙り虚しいところに処る。

河上公

欲在民之前也。

民の前にあろうとするのである。

河上公

先人而後己也。

人を先にして自分を後にするのである。

河上公

聖人在民上為主,不以尊貴虐下,故民戴而不為重。

聖人は民の上にあって主となっても、尊く貴い位をもって下の者を虐げないから、民は戴きながらもそれを重荷としない。

河上公

聖人在民前,不以光明蔽後,民親之若父母,無有欲害之心也。

聖人は民の前にあっても、自分の光で後ろの者を覆い隠さないから、民はこれを父母のように親しみ、害しようとする心がない。

河上公

聖人恩深愛厚,視民如赤子,故天下樂推進以為主,無有厭也。

聖人は恩が深く愛が厚く、民を赤子のように見るから、天下は喜んで推し進めて主とし、厭うことがない。

河上公

天下無厭聖人時,是由聖人不與人爭先後也。

天下が聖人を厭わないのは、聖人が人々と先後を争わないからである。

河上公

言人皆有為,無有與吾爭無為。

人はみな為すことがあるが、わたしの無為と争う者はいない、ということをいう。