いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 前集 巻4

鐙を切り鞭を残す截鐙留鞭

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 2 · 漢字 69字 · 朗読 0.7分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻4 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

遺事曰。姚元崇牧荊州。三年受代。吏民泣。擁馬遮首不使去。皆截留鞭鐙。新牧奏之。褒詔美之。賜金一千兩。

『遺事』にいう。姚元崇が荊州を治めて三年で後任と交代すると、役人も民も泣いて馬を引き止め、先を遮って行かせず、みな鞭と鐙を切って残した。新しい牧がこれを奏すると、詔を下して誉め、金一千両を賜った。

良牧臨民似母慈。一方如仰乳霑滋。留鞭截鐙猶爲淺。孃去兒留得不悲。

よい牧が民に臨むさまは母のように慈しみ深く 一方の地が乳に潤されるのを仰ぐようであった 鞭を残し鐙を切るのもまだ浅いことだ 母が去って子が残ればどうして悲しくないでいられよう