いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 前集 巻4

月を見る台望月臺

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 2 · 漢字 95字 · 朗読 0.8分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻4 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

遺事曰。玄宗八月十五日夜。與貴妃臨大液池。憑欄望月不盡。帝意不快。遂勑令左右。於池西岸。別築百尺高臺。吾與妃子來年望月。後經祿山之兵。不復置焉。唯有基址而已。

『遺事』にいう。玄宗が八月十五日の夜、貴妃と大液池に出て欄干に寄りかかって月を見たが、見尽くせなくて帝の心は晴れなかった。そこで左右に勅を下して池の西の岸に別に百尺の高い台を築かせ「わたしと妃子が来年月を見よう」と言った。後に祿山の兵を経てからは再び築くことがなく、ただ土台だけが残った。

良辰樂事喜參差。虛築高臺指後期。唯有年年秋夜月。一輪依舊掛天涯。

よい時と楽しい事は食い違うのを好むのだから むなしく高い台を築いて後の日を約した ただ年ごとの秋の夜の月だけが 一輪、昔のままに天の果てに懸かっている