いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 前集 巻13

淵首座の方丈で、鄭得恭が描いた魚の軸を見る淵首座方丈。觀鄭得恭所畫魚蔟子。

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 110字 · 朗読 1.1分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻13 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

水爲魚所家。失則鼎中鮮。人畫水中魚。如向鼎中傳。雖爲游泳態。尙類失水然。鄭君信神筆。妙手得於天。一掃數十尾。發發皆鮪鱣。得水勢已足。何必寫漪漣。鬐鬣欻欲動。目力珠光旋。疑君蓬島客。久作水中仙。看魚飽且熟。應手隨所沿。擧指欲捫觸。猶恐跳藏淵。吾詩氣力苶。敢作活魚篇。

水は魚の家であって それを失えば鍋の中の魚になる 人が水の中の魚を描くと 鍋の中のものを写し取るのと同じで 泳ぐ姿に作ってはあっても やはり水を失ったように見える 鄭君はまことに神妙な筆で 妙なる腕を天から授かった 一度掃けば数十匹を描き ぴちぴちと、みな鮪や鱣だ 水を得た勢いがもう十分なのだから どうして細波まで描く必要があろう 鰭はたちまち動こうとし 眼の光は珠のように巡る 君は蓬萊島の客で 長く水の中の仙をしていたのではないかと疑う 魚を飽きるほど、熟すほど見てきたので 手の向くまま、そのなりに任せているのだろう 指を挙げて触ってみたいけれど 跳ねて淵に隠れてしまうのが恐い わが詩は気力が萎えているが あえて「活魚篇」を作るのだ