いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 前集 巻17

荘恵王后の挽詞莊惠王后挽詞

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 40字 · 朗読 0.4分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻17 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

一星中極配。四德後宮規。金屋恩方洽。瑤臺路莫追。雲蹤雖縹緲。蘭葉尙繁滋。萬世重泉下。行崇國母儀。

一つの星が北極の配となり 四つの徳が後宮の規となった 金の屋の恩がちょうど洽ったころ 瑤台への路は追うことができない 雲のような跡は縹緲として遠いが 蘭の葉はなお繁く茂っている 万世にわたって、深い泉の下で 国の母としての儀を崇められるであろう

夾注 1

元子爲儲副。

長子が世継ぎとなった。