亡き戸部尚書、檜谷居士の朴公仁碩の肖像に付けた讃 — 序をあわせる故戶部尙書檜谷居士朴公仁碩眞贊幷序
1序
天與膽氣。厥生異人。則我鷄林朴公是已。嘗有濟世之志。慕諸葛孔明,王景略之爲人。尤嗜史學。說漢唐已來事。衮衮如昨所覩者。爲文得韓柳體。善諳練物理。至於飮食服餌之事。無不精妙。又工射藝及打毬。雖材官宿將。莫及也。然是亦公所不嗇而發於外者耳。其祕於中者。又不知幾許耶。嘗避亂南遊。遂卜居竹州之檜谷。自號檜谷居士。無慮三十餘年矣。會晉康公當國。聞公名。邀至京師。銳欲大用。旣揷翰。又從而簸之。故不十載。翺翔登八座。世猶以不相爲慊。公諱仁碩。字壽山。中古名宰相諱育和之嗣也。公沒久。予於公嗣繡衣君犀家。覩公友生李杞所畫公之像。感念舊好。不覺涕下。敢再拜作贊。標予幀額云。其詞曰。
天が胆と気を与えて並ならぬ人を生んだ、それがつまり鷄林の朴公である。早くから世を済う志があり、諸葛孔明や王景略の人柄を慕った。とりわけ史学を好み、漢や唐より後の事を語るときは、昨日見たことのように滔々と続いた。文を書けば韓愈と柳宗元の体を得ており、物の理をよく諳んじていて、飲み食いや衣服や薬を服むことに至るまで精妙でないものは無かった。また弓の技と打毬に長けていて、材官や老練な将でも及ばなかった。しかしこれもまた公が惜しまずに外へ出したものにすぎない。その内に秘めたものは、さらにどれほどか分からない。かつて乱を避けて南に遊び、ついに竹州の檜谷に居を定め、自ら檜谷居士と号した。およそ三十余年であった。ちょうど晋康公が国を執って公の名を聞き、都へ招き寄せて大いに用いようとした。すでに筆を挿し、さらに従って簸ったので、十年たたずに翔び上がって八座に登った。世の人はそれでも宰相になれなかったことを物足りなく思った。公の諱は仁碩、字は寿山で、中古の名高い宰相、諱は育和の嗣である。公が没して久しく、わたしは公の嗣である繡衣君の犀の家で、公の友である李杞が描いた公の像を見て、昔の交わりを思い、知らず涕が落ちた。敢えて二度拝して讃を作り、わたしが幀の額に標す。その詞に言う。
2讃
天地晦冥。戢鱗汚池。世淸道泰。撫翼來儀。龍耶鳳耶。隱顯惟時。一覩遺像。典刑在玆。頭岸鳥紗。身披鶴氅。雖畫者之尙異。爲此道裝與野狀。骨格不可掩兮。尙濟時經世者之相歟。人敬其表。莫揣孰是。以是贊之。發曳精粹。贊者云誰。居士姓李。
天と地が暗い時は 鱗を収めて濁った池に潜み 世が清く道が泰らかになれば 翼を撫でて来て舞う 龍なのか鳳なのか 隠れるも現れるもただ時による ひとたび遺された像を見ると 手本がここにある 頭には烏紗を傾けて被り 身には鶴の氅を羽織っている 描いた者が異なることを尚んで このような道士の装いと野の人の姿にしたけれども 骨格は掩えないのだから やはり時を済い世を経める人の相ではないか 人はその表を敬うが どれが本当かを揣ることはできない これをもって讃を作り 精粋を引き出す 讃を作った者は誰かと言えば 居士で姓は李である