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変わった人相見の答え異相者對

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 658字 · 朗読 6.4分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻20 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

有相者不知何自而來。不讀相書。不襲相規。以異術相之。故謂異相者。搢紳卿相。男女幼長。爭邀競往。無不使相焉。相富貴而肥澤者曰。子之貌甚瘠矣。族之賤莫子若也。相貧賤而癯嬴者曰。子之貌肥矣。族之貴若子者稀矣。相盲者曰。明者也。相捷而善走者曰。跛躄而不能步者也。相婦人之色秀者曰。或美或醜也。相世所謂寬而且仁者曰。傷萬人者也。相時所謂酷之尤深者曰。悅萬人之心者也。其所相率皆類是。非特不能言倚伏所自。其察容止。皆左視也。衆譁傳以爲詭。人欲執而鞠。理其僞。予獨止之曰。夫言有先逆而後順者。外近而內遠者。彼亦有眼。豈不知肥者瘠者瞎者。而指肥爲瘠。指瘠爲肥。指瞎爲明者乎。此必相之奇者也。於是。沐浴灌漱。整襟合紐。造相者之所寓。遂屛左右曰。子相某人某人。其曰某某何也。對曰。夫富貴則驕傲陵慢之心滋。罪之盈也。天必反之。將有糠糲不給之期。故曰瘠也。將傝然爲匹夫之卑。故曰子之族賤矣。貧賤則降志貶己。有憂懼修省之意。否之極焉。泰必復矣。肉食之兆已至。故肥也。將有萬石十輪之貴。故曰子之族貴矣。窺妖姿美色而觸之。覷珍奇玩好以欲之。化人爲惑。枉人爲曲者目也。由此而至不測之辱。則玆非不明者乎。唯瞎者。淡然泊然。無欲無觸。全身遠辱。過於賢覺。故曰明者也。夫捷則尙勇。勇則陵衆。其終也或爲刺客。或爲姦首。及廷尉繫之。獄卒守之。桎在足。木貫脰。雖欲逸走。得乎。故曰跛躄而不能步者也。夫色也。淫侈忕異者視之。則瓊瑤之秀也。直方淳質者視之。則泥土之醜也。故曰或美或醜也。夫所謂仁人者。其死之時。蠢蠢蚩蚩。思慕涕洟。怊乎若嬰兒之失母慈。故曰傷萬人者也。所謂酷者。其死也。塗歌巷和。羊酒相賀。有笑而口未闔者。有抃而手欲破者。故曰悅萬人者也。予瞿然起曰。果若吾辭。此實相之奇者也。其言可以爲銘爲規。豈此夫沿色隨形。說貴則曰龜文犀角。說惡則曰蜂目豺聲。滯曲循常。自聖自靈者乎。退而書其對。

ある人相見がいたが、どこから来たのか分からなかった。人相の書を読まず、人相の規矩にも従わないで、変わった術で人相を見た。それで「変わった人相見」と呼んだ。官人や卿相、男女と幼い者と年長の者が、争って招き競って行き、人相を見させない者はなかった。

富み貴くて肥えた者を見ては「あなたの貌はひどく瘠せている。族の賤しさであなたほどの者はいない」と言い、貧しく賤しく痩せた者を見ては「あなたの貌は肥えている。族の貴さであなたのような者は稀だ」と言った。盲いた者を見ては「明らかな者だ」と言い、敏くてよく走る者を見ては「跛で歩けない者だ」と言った。女の色の秀でた者を見ては「あるいは美しく、あるいは醜い」と言い、世で寛く仁いと言われる者を見ては「万人を傷つける者だ」と言い、当時、酷さがいっそう甚しいと言われる者を見ては「万人の心を悦ばせる者だ」と言った。彼が見るのはおおむねみなこのようであった。禍と福が互いに倚り伏して来るところを言えないばかりでなく、その顔つきと身のこなしを察するのも、みな逆さに見るのであった。

多くの人が騒がしく偽りだと伝えて、捕らえて取り調べ、その偽りを正そうとした。わたしだけが独り止めた。「およそ言葉には、先には逆らうが後には順うものがあり、外では近いが内では遠いものがある。彼にも眼があるのだから、どうして肥えた者と瘠せた者と盲いた者を知らないことがあろうか。それなのに肥えたのを瘠せたと言い、瘠せたのを肥えたと言い、盲いたのを明らかだと言うだろうか。これは必ず人相の奇しい者だ。」

そこで沐浴し口を漱ぎ、襟を整え紐を合わせて、人相見が寓っている所に行き、左右を退けて問うた。「あなたが某と某の人相を見て、某は某だと言ったのは、どういう理由か。」

答えた。「およそ富み貴ければ驕り傲って人を凌ぎ侮る心が増し、罪が満ちるので、天が必ずこれを反す。これから糠や玄米も足りない時が来るだろうから、瘠せていると言ったのだ。これからひっそりと匹夫の卑しさになるだろうから、あなたの族は賤しいと言ったのだ。貧しく賤しければ志を降し己を貶めて、憂え懼れ修め省みる意がある。塞がることが極まれば、泰らかさが必ず復る。肉を食む兆しがすでに至っているので肥えていると言ったのであり、これから万石や十輪の貴さがあるだろうから、あなたの族は貴いと言ったのだ。

妖しい姿と美しい色を窺って触れ、珍しく奇しく好ましいものを覗いて欲しがり、人を化して惑わせ、人を枉げて曲げるのは目だ。これによって測り知れない辱めに至るのだから、これが明らかでないことではないか。ただ盲いた者だけが淡々と静かにして、欲することも触れることも無く、身を全くし辱めを遠ざけることが、賢き者や覚った者より勝れている。だから明らかな者だと言ったのだ。

およそ敏ければ勇を尚び、勇であれば衆を凌ぐ。その終わりには、あるいは刺客となり、あるいは姦しい首となる。廷尉が繋ぎ獄卒が守り、足枷が足にあり木が首に貫かれれば、逃れ走ろうとしてもできようか。だから跛で歩けないと言ったのだ。

およそ色は、淫らで奢り慣れて異なった者が見れば瓊や瑤の秀でたものであり、直く方しく淳く質な者が見れば泥土の醜いものだ。だからあるいは美しくあるいは醜いと言ったのだ。

およそいわゆる仁い人は、その死ぬ時に、蠢き蠢く愚かな者までが思い慕って涕を流し、哀しむことが嬰児が母を失ったようである。だから万人を傷つける者だと言ったのだ。いわゆる酷い者は、その死ぬと、路で歌い巷で和し、羊と酒で互いに賀す。笑って口が閉じられない者があり、手を打って手が破れそうな者がある。だから万人を悦ばせる者だと言ったのだ。」

わたしは驚いて起ち上がって言った。「まことにあなたの言葉のとおりだ。これは実に人相の奇しい者だ。その言葉は銘とし規矩とするに足る。どうしてあの、色を沿い形に随って、貴さを説こうとすれば亀の文や犀の角と言い、悪さを説こうとすれば蜂の目や豺の声と言い、曲がったところに滞って常ばかりに循いながら、自ら聖だとし自ら霊だとする者と同じだろうか。」退いてその答えを書き記す。