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白雲居士語録白雲居士語錄

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 527字 · 朗読 4.6分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻20 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

李叟欲晦名。思有以代其名者曰。古之人以號代名者多矣。有就其所居而號之者。有因其所蓄。或以其所得之實而號之者。若王績之東皐子。杜子美之草堂先生。賀知章之四明狂客。白樂天之香山居士。是則就其所居而號之也。其或陶潛之五柳先生。鄭熏之七松處士。歐陽子之六一居士。皆因其所蓄也。張志和之玄眞子。元結之漫浪叟。則所得之實也。李叟異於是。萍蓬四方。居無所定。寥乎無一物可蓄。缺然無所得之實。三者皆不及古人。其於自號也。何如而可乎。或目以爲草堂先生。予以子美之故。讓而不受。況予之草堂。暫寓也。非居也。隨所寓而號之。其號不亦多乎。平生唯酷好琴酒詩三物。故始自號三酷好先生。然鼓琴未精。作詩未工。飮酒未多而享此號。則世之聞者。其不爲噱然大笑耶。翻然改曰白雲居士。或曰。子將入靑山臥白雲耶。何自號如是。曰非也。白雲。吾所慕也。慕而學之。則雖不得其實。亦庶幾矣。夫雲之爲物也。溶溶焉洩洩焉。不滯於山。不繫於天。飄飄乎東西。形迹無所拘也。變化於頃刻。端倪莫可涯也。油然而舒。君子之出也。斂然而卷。高人之隱也。作雨而蘇旱。仁也。來無所著。去無所戀。通也。色之靑黃赤黑。非雲之正也。惟白無華。雲之常也。德旣如彼。色又如此。若慕而學之。出則澤物。入則虛心。守其白處其常。希希夷夷。入於無何有之鄕。不知雲爲我耶。我爲雲耶。若是則其不幾於古人所得之實耶。或曰。居士之稱何哉。曰。或居山或居家。惟能樂道者而後號之也。予則居家而樂道者也。或曰。審如是。子之言達也。宜可錄。故書之。

李の老人が名を隠そうとして、その名に代わるものを考えて言った。昔の人の中には、号で名に代えた者が多い。住む所に就いて号とした者があり、蓄えているものによって、あるいは得た実によって号とした者がある。王績の東皐子、杜子美の草堂先生、賀知章の四明狂客、白楽天の香山居士のようなものは、住む所に就いて号としたのである。あるいは陶潜の五柳先生、鄭熏の七松処士、欧陽子の六一居士は、みな蓄えているものによる。張志和の玄真子、元結の漫浪叟は、得た実である。

李の老人はこれとは異なる。萍や蓬のように四方を漂って住む所が定まらず、寥しくて蓄えるに足る物が一つも無く、欠けていて得た実も無い。三つともみな昔の人に及ばないのだから、自ら号を付けることについてどうすればよいのか。ある人は草堂先生と呼ぼうとしたが、わたしは子美のために譲って受けなかった。まして、わたしの草堂は暫く寓っている所で、住む所ではない。寓る所に従って号を付けるなら、その号もまた多くならないだろうか。

生涯ただ琴と酒と詩の三つを酷く好んだので、初めは自ら三酷好先生と号した。しかし琴を弾くのが精しくなく、詩を作るのが巧みでなく、酒を飲むのも多くないのにこの号を享けるなら、世で聞く者が、どっと大笑いしないだろうか。そこで翻して改め、白雲居士とした。

ある人が言った。「あなたはこれから青い山に入って白い雲に臥そうとするのか。どうして自らこのように号を付けるのか。」言った。「そうではない。白い雲はわたしの慕うものだ。慕って学べば、その実を得られなくても、やはりほぼ近いだろう。およそ雲という物は、ゆったりとのびやかで、山に滞らず天に繋がれない。飄々と東へ西へ流れて、形も跡も拘われるところが無く、瞬く間に変化して端緒を測ることができない。油然と舒びるのは君子が出るところであり、斂然と巻くのは高い人が隠れるところだ。雨を作って旱を蘇らせるのは仁であり、来ても着くところが無く、去っても恋うところが無いのは通である。青や黄や赤や黒の色は雲の正しい色ではなく、ただ白くて華が無いのが雲の常だ。徳がすでにあのようであり、色がまたこのようである。もし慕って学んで、出れば物を潤し、入れば心を虚しくし、その白さを守りその常に処って、かすかに、ほのかに、何も無い郷に入るなら、雲がわたしなのか、わたしが雲なのか分からなくなるだろう。このようであれば、昔の人が得た実にほぼ近くないだろうか。」

ある人が言った。「居士と称えるのは何なのか。」言った。「あるいは山に住み、あるいは家に住んでも、ただ道を楽しむことができる者だけがそう号するのだ。わたしは家に住みながら道を楽しむ者だ。」

ある人が言った。「まことにこのようであれば、あなたの言葉は達している。当然記すに足る。」だからこれを書き記す。