麴先生伝麴先生傳
麴聖字中之。酒泉郡人也。少爲徐邈所愛。邈名而字之。遠祖本溫人。恒力農自給。鄭伐周。獲以歸。故其子孫或布於鄭。曾祖。史失其名。祖牟徙酒泉因家焉。遂爲酒泉郡人。至父醝始仕爲平原督郵。娶司農卿穀氏女。生聖。聖自爲兒時。已有沈深局量。客詣父目愛曰。此兒心器當汪汪若萬頃之波。澄之不淸。撓之不濁。與卿談。不若與阿聖樂。及長。與中山劉伶,潯陽陶潛爲友。二人嘗謂曰。一日不見此子。鄙吝萌矣。每見。移日忘疲。輒心醉而歸。州辟糟丘掾。未及就。又徵爲靑州從事。公卿交口薦進。上令待詔公車。居無何。召見目送曰。此酒泉麴生耶。朕飮香名久矣。先是。太史奏酒旗星大有光。未幾聖至。帝亦以是益奇焉。卽拜爲主客郞中。尋轉爲國子祭酒。兼禮儀使。凡掌朝會宴饗宗廟蒸嘗酌獻之禮。無不稱旨。上器之。擢置喉舌。待以優禮。每入謁。命舁而升殿。呼麴先生而不名。上心有不懌。及聖入見。上始大笑。凡見愛皆此類也。性醞籍。日親近。與上無小忤。由是益貴幸。從上遊宴無節。子酷,䤖,醳。倚父寵頗橫恣。中書令毛穎上疏劾奏曰。倖臣擅寵。天下所病。今麴聖以斗筲之用。幸登朝級。位列三品。內深賊。喜中傷人。故萬人呶號。疾首痛心。此非醫國之忠臣。乃實毒民之賊夫。聖之三子。憑恃父寵。橫行放肆。爲人所苦。請陛下幷賜死以塞衆口。書奏。子酷等卽日飮酖自殺。聖坐廢爲庶人。鴟夷子亦嘗善聖。故亦墮車自死。初。鴟夷子以滑稽見幸。與麴聖相友。每上出入。託於屬車。鴟夷子嘗困臥。聖戲曰。卿腹雖大。空洞何有。答曰。足容卿輩數百。其相戲謔如此。聖旣免。齊郡鬲州間。盜賊群起。上欲命討。難其人。復起聖爲元帥。聖持軍嚴。與士卒同甘苦。灌愁城一戰而拔。築長樂阪而還。帝以功封爲湘東侯。一年。上疏乞退曰。臣本甕牖之子。少貧賤。爲人轉賣。偶逢聖主虛心優納。拯於沈溺。容若江湖。有忝洪造。無潤國體。前以不謹。退安鄕里。雖薄露之垂盡。幸餘滴之得存。敢欣日月之明。更發醘鷄之覆。且器盈則覆。物之常理。今臣遇痟渴之病。命迫浮漚。庶一吐兪音。使退保餘生。帝優詔不允。遣中使齎松桂菖蒲等藥物。就其第省病。聖累表固辭。上不得已許之。遂歸老故鄕。以壽終。弟賢官至二千石。子䣧,酘,𨠗,醂。服桃花汁學仙。族子𨡑,䤍,□〔⿰酉貪〕。皆籍屬萍氏云。
麴聖は字が中之で、酒泉郡の人である。幼い時に徐邈に愛され、徐邈が名と字を付けてやった。遠い祖先はもともと温の地の人である。常に農に力を入れて自ら暮らしていたが、鄭が周を伐って捕らえて帰った。それでその子孫があるいは鄭に広がった。曾祖は史にその名が漏れている。祖父の牟が酒泉に移ってそこを家としたので、ついに酒泉郡の人となった。父の醝に至って初めて官に就き、平原督郵となり、司農卿の穀氏の娘を娶って聖を生んだ。
聖は幼い時からすでに深く奥ゆかしい度量があった。客がその父を訪ねて来て、目を留めて愛でてこう言った。「この子の心の器は、まさに広々として万頃の波のようで、澄ませようとしても澄まず、揺らしても濁らないだろう。あなたと語るのは、阿聖と楽しむのに及ばない。」
成長してからは、中山の劉伶、潯陽の陶潜と友になった。二人はかつて「一日でもこの人に会わないと、鄙しく吝い心が芽生える」と言い、会うたびに日が移るまで疲れを忘れ、そのまま心が酔って帰った。
州が糟丘掾として召したが、まだ就けず、また青州従事として召した。公卿たちが口を揃えて薦めたので、上は公車で詔を待たせた。間もなく召し見て、目で見送ってこう言った。「これが酒泉の麴生か。朕はその香しい名を飲んで久しい。」これより先、太史が「酒旗星が大いに光っている」と奏していたが、やがて聖が至ったので、上もまたこれによっていっそう奇しいと思われた。すぐに主客郎中に任じ、やがて国子祭酒兼礼儀使に移した。およそ朝会と宴饗と宗廟の祭りに酒を酌んで献ずる礼を掌って、上の旨に合わないものが無かった。上は彼を器として抜き、喉と舌のような地位に置き、厚い礼で待った。入って謁するたびに、輿に乗せて殿に上らせ、「麴先生」と呼んで名を呼ばなかった。上が心に喜ばないことがあっても、聖が入って見えると上は初めて大いに笑った。およそ愛されたことはみなこのようであった。
性は寛やかで度量があり、日ごとに親しく近づいても、上と少しも逆らうことが無かった。これによっていっそう貴ばれ寵愛され、上に従って遊び宴することに節が無かった。子の酷・䤖・醳が父の寵を恃んで、かなり勝手に振る舞った。
中書令の毛穎が上疏して弾劾し奏した。「寵を受ける臣が恩寵を独り占めすることは、天下が病とするところです。今、麴聖は斗や筲ほどの用で、幸いに朝の級に登り、位が三品に列しました。内では深く害し、人を中傷することを喜ぶので、万人が騒ぎ叫び、頭を痛め心を痛めます。これは国を治す忠臣ではなく、実に民を毒する賊です。聖の三人の子は父の寵を恃んで放ち恣にし、人に苦しまれるところです。どうぞ陛下は併せて死を賜って、衆の口を塞いでください。」
書が奏されると、子の酷らはその日のうちに酖を飲んで自ら死に、聖はそれに坐して廃されて庶人となった。鴟夷子もまたかつて聖と善かったので、やはり車から墜ちて自ら死んだ。初め、鴟夷子は滑稽によって寵愛され、麴聖と互いに友になった。上が出入りするたびに、属車に身を託した。鴟夷子がかつて困れて臥していると、聖が戯れて「あなたの腹は大きいけれども、空洞で何があるのか」と言うと、答えて「あなたのような者を数百は容れるに足る」と言った。彼らが互いに戯れ嘲るのはこのようであった。
聖が免ぜられた後、斉郡と鬲州の間に盗賊が群がって起こった。上は討たせようとしたが、その人を得難く、再び聖を起こして元帥とした。聖は軍を厳しく持ち、士卒と甘いも苦いも同じくして、愁城に水を灌いで一戦でこれを抜き、長楽阪を築いて還った。帝は功によって湘東侯に封じた。
一年後、上疏して退くことを乞うた。「臣はもともと甕の窓の子なので、幼く貧しく賤しくて、人に転じ売られました。偶然に聖なる主に逢い、心を虚しくして寛く納れてくださり、沈み溺れたところから救い、江や湖のように容れてくださいました。大いなるお造りを汚しただけで、国の体を潤すことができず、先には謹まなかったために、退いて郷里に安んじておりました。薄い露が垂れ尽きようとしても、幸いに余った滴が存することができたので、敢えて日と月の明るさを喜び、重ねて醘鷄の覆いを開けました。また器が満ちれば覆るのが物の常の理です。今、臣は痟渇の病に遇い、命が浮かぶ泡に迫りました。どうぞひとたびお許しのお言葉を下され、退いて余った生を保たせてください。」
帝は優しい詔で許されず、中使を遣わして松や桂や菖蒲などの薬物を齎し、その邸に就いて病を省みさせた。聖が重ねて表を上って固く辞すると、上はやむなくこれを許した。ついに故郷に帰って老い、寿を全うして終わった。
弟の賢は官が二千石に至った。子の䣧・酘・𨠗・醂は桃の花の汁を服んで仙を学び、族子の𨡑・䤍・□は、みな籍を萍氏に属したという。
夾注 1
酒有三品。
酒に三つの品がある。
2史臣の言
史臣曰。麴氏世本農家。聖以醇德淸才。作王心腹。斟酌國政。有沃帝心。幾致大平。旣醉之功。盛哉。及其泰寵。幾亂國經。雖禍及於子。無憾。然晚節知足自退。能以壽終。易曰見幾而作。聖庶幾焉。
史臣は言う。麴氏は代々もともと農家であった。聖は醇い徳と清い才で王の心腹となり、国政を斟酌して帝の心を潤し、ほとんど太平を致した。「すでに酔った」という功は盛んなことだ。しかしその寵が過ぎるに至っては、ほとんど国の法度を乱したのだから、禍が子に及んでも憾みは無い。しかし晩節に足ることを知って自ら退き、寿を全うして終わることができた。『易』に「兆しを見て起つ」とあるが、聖はそれにほぼ近い。