いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 前集 巻21

鏡についての説鏡說

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 168字 · 朗読 1.7分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻21 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

居士有鏡一枚。塵埃侵蝕掩掩。如月之翳雲。然朝夕覽觀。似若飾容貌者。客見而問曰。鏡所以鑑形。不則君子對之。以取其淸。今吾子之鏡。濛如霧如。旣不可鑑其形。又無所取其淸。然吾子尙炤不已。豈有理乎。居士曰。鏡之明也。妍者喜之。醜者忌之。然妍者少醜者多。若一見。必破碎後已。不若爲塵所昏。塵之昏。寧蝕其外。未喪其淸。萬一遇妍者而後磨拭之。亦未晚也。噫。古之對鏡。所以取其淸。吾之對鏡。所以取其昏。子何怪哉。客無以對。

居士に鏡が一枚あった。塵が入り込んで蝕まれたように曇り、月が雲に翳されたようであった。それなのに朝晩覗き込むのが、まるで顔を飾る人のようであった。客が見て問うた。「鏡は顔を映すものであり、そうでなければ君子が向かい合ってその清らかさを取るものです。今あなたの鏡は霧がかかったように曇っていて、すでに顔を映すこともできず、またその清らかさを取るところもありません。それなのにあなたはなお映すことをやめないのは、どんな理由があるのですか。」

居士が言った。「鏡が明るいと、美しい人は喜び、醜い人は忌みます。しかし美しい人は少なく、醜い人は多いのです。もしひとたび見れば、必ず打ち砕いてからやめるでしょうから、塵に曇らせたままにしておくのに及びません。塵の曇りは、むしろその表を蝕むだけで、その清らかさを失わせはしません。万一美しい人に出会った後に磨き拭っても遅くはありません。ああ、昔の人が鏡に向かったのはその清らかさを取ろうとしたのであり、わたしが鏡に向かうのはその曇りを取ろうとしたのですから、あなたはどうして怪しむのですか。」客は答えられなかった。