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盧克清伝盧克淸傳

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 216字 · 朗読 2分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻20 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

盧克淸者。不知何許人也。官止散官直長同正。家貧將賣宅未售。而方因事之外郡。其婦與郞中玄德秀受白銀十二斤賣之。及克淸還京師。見其直多剩。遂持三斤詣德秀曰。予實賈此宅。只給九斤耳。居數年。無所加修。而剩得三斤。非理也。請還之。德秀亦義士也。拒而不納曰。爾何獨守公理而予不爾也。遂不受。克淸曰。予平生義不爲非。豈可賤賈貴賣。黷于化乎。設閣下不從。請盡納其直。復受吾家也。德秀不得已受之。因謂曰。予豈不逮克請者耶。遂納其銀於佛寺。聞者莫不嘆息曰。末俗奔競之時。亦有如此人者乎。予恨記事者不詳其家世及餘所行而已。

盧克清という人は、どういう人なのか分からない。官は散官直長同正に止まった。家が貧しくて家を売ろうとしたが売れず、ちょうど用事で外の郡に行った。その妻が郎中の玄徳秀に白い銀十二斤を受け取って売った。克清が都に帰り、その値が余りに多いのを見て、そこで三斤を持って徳秀のもとへ行き、こう言った。「わたしは実はこの家を買う時、九斤だけを払ったのです。数年住んで手を加えて修めたものが無いのに三斤も多く受け取ったのは、理に合いません。どうぞお返しします。」

徳秀もまた義しい士であった。拒んで受け取らずに言った。「あなただけがどうして独り公正な理を守り、わたしはそうできないのですか。」そこで受け取らなかった。克清が言った。「わたしは生涯義しくあって、よくないことをしませんでした。どうして安く買って高く売り、教化を汚せましょう。もし閣下が従われないなら、その値をすべてお返しして、わたしの家を受け戻します。」徳秀はやむなく受け取って、こう言った。「わたしがどうして克清に及ばないことがあろうか。」そこでその銀を寺に施した。

聞いた者は嘆息しない者がなく、こう言った。「末の世に競い走る時代に、またこのような人がいるのか。」わたしは、事を記す者がその家の系譜やその他の行いを詳しく記さなかったことを恨むばかりだ。

夾注 1

予修明宗實錄。立此傳。有可激貪競故附之。

わたしが『明宗実録』を編修する時、この伝を立てた。貪り競う心を励ますに足るものがあるので、これを附ける。