いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 前集 巻21
詩を論じた説論詩說
東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻21 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。
予昔讀梅聖兪詩。私心竊薄之。未識古人所以號詩翁者。及今閱之。外若芣弱。中含骨鯁。眞詩中之精雋也。知梅詩然後可謂知詩者也。但古人以謝公詩池塘生春草爲警策。予未識佳處。徐凝瀑布詩一條界破靑山色。則予擬其佳句。然東坡以爲惡詩。由此觀之。予輩之爲詩。其不及古人遠矣。又陶潛詩。恬淡和靜。如淸廟之瑟。朱絃疏越。一唱三嘆。予欲效其體。終不得其髣髴。尤可笑已。
私は昔、梅聖兪の詩を読んで、心のうちでひそかに軽んじ、古人が詩翁と呼んだわけを知らなかった。いま改めて読んでみると、外は柔らかく弱いようでいて、内には強い骨を含んでいる。まことに詩のなかの精髄であり、抜きん出たものである。梅聖兪の詩を知ってはじめて、詩を知る者といえる。
ただ、古人は謝公の詩の「池の堤に春の草が生える」という句を警策としたが、私にはその良いところが分からない。徐凝の滝の詩の「ひとすじが青い山の色を断ち割った」という句を、私は良い句だと思ったが、蘇東坡は悪い詩だといった。これから見ると、われわれが詩を作るのは、古人に遠く及ばない。
また陶潜の詩は淡泊で和やかで静かであり、清らかな廟の瑟が朱の弦をまばらに張り、一人が歌えば三人が嘆ずるようである。私はその体を見習おうとしたが、ついに似せることすらできなかった。いよいよ笑うべきことである。