いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 前集 巻21

呉徳全の「戟巌」の詩の跋吳德全戟巖詩跋尾

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 163字 · 朗読 1.7分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻21 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

吳德全爲詩。遒邁勁俊。其詩之膾炙人口者。不爲不多。然未見能押強韻。儼若天成者。及於北山欲題戟巖。則使人占韻。其人故以險韻占之。先生題曰。北嶺巉巉石。邦人號戟巖。迥摏乘鶴晉。高刺上天咸。揉柄電爲火。洗鋒霜是監。何當作兵器。敗楚亦亡凡。其後有北朝使。能詩人也。聞此詩。再三歎美。問是人在否。令作何官。儻可見之耶。我國人茫然無以對。予聞之曰。何不道今方爲制誥學士之任耶。其昧權如此。可歎哉云。

呉徳全が詩を作れば、強く抜きん出て、力づよく秀でていた。その詩で人の口に上るものは少なくない。しかし、難しい韻を押さえながら、堂々と天がおのずから成したようなものは見たことがなかった。

北山で戟巌を詠もうとしたとき、人に韻を定めさせると、その人はわざと険しい韻を出した。先生はこう作った。

北の嶺の切り立った岩を この国の人は戟巌と呼ぶ はるかに鶴に乗った晋の人を突き 高く天の上の咸を刺す 柄を整えるには稲妻を火とし 刃先を洗うには霜を水とする どうすれば武器に仕立てて 楚を破り凡をも滅ぼせようか

その後、北朝の使者が来たが、詩の上手な人であった。この詩を聞いて二度三度と感嘆して褒め、「この人はいるのか、どんな官に就かせているのか、あるいは会うことができるか」と尋ねた。この国の人々はぼんやりとして答える言葉がなかった。私はこれを聞いて言った。「どうして、いままさに制誥学士の任に当たっていると言わなかったのか。」その機転のきかなさがこのようであるから、嘆かわしいことである。