『睿宗唱和集』の跋睿宗唱和集跋尾
夫天下之未至太平。則雖好文之主。有不得與學士詞臣吟詠風月。以遂優遊之樂矣。屬太平多暇。上不喜文章。則雖才如沈,宋,燕,許。安可預淸燕侍從。得爲雍容賡載之事耶。伏聞睿廟聰明天縱。制作如神。席太平之慶。乘化日之長。常與詞人逸士若郭璵等賦詩著詠。摐金振玉。動中韶鈞。流播於人間。多爲萬口諷頌。實太平盛事也。今所謂睿宗唱和集是已。行于世久矣。臣未得奉覽。始於某人家得而拜讀。想目覩當代之君臣慶會。嗟嘆不足。不覺涕之橫流也。弟恨不得生於其時。綴詞臣之尾。以鼓缶俚音。續天章之末耳。然今上尤好文。但朝夕致太平。則臣亦庶幾矣。又何恨不生於彼時哉。
およそ天下が太平に至らなければ、文を好む君主であっても、学士や詞臣とともに風月を詠み、ゆったりと遊ぶ楽しみを遂げることはできない。太平でいとまが多い時に当たっても、君主が文章を好まなければ、才が沈佺期・宋之問・張説・蘇頲のようであっても、どうして清らかな宴に連なり、そばに侍って、ゆるやかに唱和する事ができようか。
伏して聞くところでは、睿宗は聡明さを天から授かり、作られるところが神のようであった。太平の慶びを座とし、教化の日の長きに乗じて、常に郭璵のような詩人や逸士とともに詩を作り詠まれた。金を打ち玉を振るような響きが韶の調べに合って世間に広まり、多くの人の口に唱えられたのだから、まことに太平の盛んな事である。いまいわゆる『睿宗唱和集』がこれである。
世に行われて久しいのに、臣は手に取って見ることができず、ようやく某の家で手に入れて拝み読んだ。当代の君臣が慶びに集ったさまを目で見るようで、感嘆しても足りず、思わず涙が流れるのに気づかなかった。ただ、その時に生まれて詞臣の末尾に連なり、瓦の鉢をたたくような俗な音で、天子の文の末を継げなかったことが心残りである。しかし今の上はいっそう文を好まれるのだから、朝に夕に太平を成し遂げられるなら、臣もまたそれに近いことができよう。また、どうしてあの時に生まれなかったことを恨もうか。