桂陽で海を眺めた記桂陽望海志
路四出桂之徼。唯一面得通於陸。三面皆水也。始予謫守是州。環顧水之蒼然浩然者。疑入島嶼中。悒悒然不樂。輒低首閉眼不欲見也。及二年夏六月。除拜省郞。將計日上道。以復于京師。則向之蒼然浩然者。皆可樂也。於是凡可以望海者。無不遊踐。始於萬日寺樓上望之。大舶點波心。僅若鳧鴨之游泳者。小舟則如人入水微露其頭者。帆蓆之去。僅類人揷高帽而行者。群山衆島。杳然相望。有屺者峐者。跂者伏者。脊出者䯻擢者。中穿如穴者。首凸如傘頭者。寺僧來佐望。輒以手指點之。島曰。彼紫燕也。高燕也。麒麟也。山曰。彼京都之鵠嶺也。彼昇天府之鎭也。龍山也。仁州之望也。通津之望也。歷歷而數。如指諸掌。是日予甚樂焉。與與遊者觴之。乘醉而反。後數日。遊明月寺亦如之。然明月頗有山之掩翳者。不若萬日之豁敞也。後數日。復循山而北。竝海而東。觀潮水之激薄與海市之變怪。或乘馬。或步行。稍憊而後還焉。與遊者某某人。皆携壺縱之。嗚呼。水向者之水也。心向者之心也。以向之所忌見者。今反爲嗜觀。豈以得區區一官之故歟。心吾心也。不能自制。使因時貿易之如此。其於一死生齊得喪。得可冀乎。後尙可警故志之。
道が四方へ出る桂陽の辺りは、ただ一面だけが陸に通じ、三面がみな水である。はじめ私がこの郡に流されて守となったとき、水が青々と果てしないのを見まわして、島のなかに入ったのかと疑い、ふさぎこんで楽しくなかった。すぐに頭を垂れ目を閉じて、見ようとしなかった。
二年目の夏六月になって省郎に任じられ、まさに日を数えて道に出て都へ帰ることになると、さきに青々と果てしなかったものが、みな楽しむに足るものとなった。そこで、およそ海を眺めるに足る所なら、遊び歩かない所はなかった。
万日寺の楼の上から眺めることから始めた。大きな船が波の真ん中で点のようで、わずかに鴨や家鴨が泳いでいるようであり、小さな舟は人が水に入って頭だけをわずかに出しているようである。帆を張って行くものは、やっと人が高い笠をかぶって行くようである。多くの山や島々がはるかに互いに眺め合い、はげたものもあり木のあるものもあり、背伸びしたものもあり伏せたものもあり、背筋が出たものもあり髷が抜き出たものもあり、真ん中が穴のように抜けたものもあり、頭が日傘の先のように盛り上がったものもある。
寺の僧が来て眺めるのを助け、すぐ手で指し示した。島については「あれが紫燕島、高燕島、麒麟島です」と言い、山については「あれが都の鵠嶺、あれが昇天府の鎮めの山、龍山、仁州の鎮めの山、通津の鎮めの山です」と、はっきりと数えて、手のひらを指すようであった。この日、私はたいへん楽しかった。ともに遊ぶ人と酒を飲み、酔って帰った。
数日後、明月寺に遊んだのもまた同じであった。しかし明月寺はかなり山に遮られたところがあって、万日寺のぽっかり開けているのには及ばなかった。
数日後、また山に沿って北へ行き、海を抱いて東へ行って、潮が打ち寄せるのと、蜃気楼が怪しく変わるのを見た。あるいは馬に乗り、あるいは歩いて、少し疲れてから帰った。ともに遊んだのは某と某で、みな酒壺を携えて思いきり楽しんだ。
ああ、水はさきのその水であり、心はさきのその心である。さきに見るのを嫌っていたものを、いまはかえって好んで見るようになったのだから、どうして取るに足らぬ官一つを得たためであろうか。心は自分の心なのに、みずから抑えられず、時に従ってこのように移り変わらせるのだから、生と死を一つに見、得と失を等しくすることに至るのを望めようか。後になお戒めとするに足るから、これを書き留める。