王輪寺の丈六金像の霊験を拾い集めた記王輪寺丈六金像靈驗收拾記
詳夫自佛法之波及三韓也。由中及外。列刹相望。至如像設。無寺無之。但諸佛。一體也。凡像設所在。有顯靈應與不爾者。是凡夫思想未到處。其何以測之哉。雖然。諸佛菩薩之於神通方便。遊戲自在。無可無不可。亦不可以色相求之者也。然則其不顯光靈。非不爲也。始藏其用而已矣。若時乎應機赴感。有以顯其靈應。是亦自然方便所示。而蓋至人之細也。然以世之凡眼見之。則安得不驚駭且異。而篤生精信之心耶。精信之心篤。則佛輒應之。而其靈應又益顯矣。是世所譁傳某寺某佛像有大靈驗者之類是已。今夫都城之北。有寺曰王輪。是海東宗恒轉法輪之大伽藍也。寺有毗盧遮那丈六金像一軀。聞昔有二比丘。曰巨貧。曰皎光。同發願欲。鑄成金像。作俗諺所謂棟梁者。其所謂棟梁者。凡浮屠之勸人布施。營作佛事者之稱也。巨貧主其事。皎光佐之。巨貧忽一日謂佐者曰。事有不稱吾意者多矣。加之年亦老矣。必不能卒事。當入皆骨山。自焚而化。汝可拾吾舍利。持以勸人。則無有不樂施者。夫然后事可辦矣。言訖。入其山鍊道。至丙申八月十五日。於摩訶衍方丈北岫。生茶毗其身。皎公依其言。收靈骨盛于箱。自負擔歸京師。勸人檀施。則自上方至搢紳士庶人。無不施財。如山積焉。板方里有散將官。窮不能施物。有女年可十三。願以此納之。俾供使役。皎公不得已受之。時城南有將軍。失其名。年老無息。願贖此女爲養息。因納布五百段。又星臺洞有寡婦。家貧無長物。可捨以所寶大鏡施之。因告曰。此鏡久歸於人。今猶未還。故不能以此時輟納。迨鎔金之日。方取而齎去耳。皎公唯諾。至其時。以日遠偶忘之。不告鏡主而鑄焉。及成。凡相好無不具足端嚴。唯心胸有虧缺處。僧甚恐之。方議補鑄。鏡主聞像之已成也。大懷嗟惋。然業已捨之。故遂將其鏡往納焉。有以鏡置佛胸之缺隙者。其隙與鏡。甚穩當相御。因假置之。遲明日欲銘之。然後塡補之。至曉見焉。則鏡已自合。宛若鎔鑄而了無痕迹矣。都城觀者如堵。無不駭異。此靈驗一也。像成。輦入于寺。是日欲妥於金堂。以戶庳不得容。期翌旦將去上之限木。然後納焉。及旦見之。則佛已端然八座矣。此靈驗二也。崔侍中精安常痛敬丈六像。以其宅之在寺之南隣。故每上官之時。則到寺門。輒下馬禮拜而後去焉。及退公則至朝宗門。又下馬再拜。步過寺門。然後騎焉。凡所得新物。先奉之而後敢嘗。又往往造于堂。手煎茶供養。如是者久焉。忽夢丈六告曰。汝事我誠勤矣。然不若寺之南里鷹揚府老兵之歸心也。公明日使人尋其家。果有一老兵在焉。公親往訪之問曰。聞汝之常敬某寺丈六。信然耶。其敬之也。又別作何般耶。對曰。老僕自中風莫興。凡已七年矣。但晨夕聞鍾聲。則向其處合掌而已。安更有餘事哉。公曰。如是則老夫所以事佛者。其不若汝誠之至矣。由是大重其人。每受祿輒以一斛賜之。此靈驗三也。又侍中受祿之日。有緇褐僧到門乞食。公賜以食。觀其飮啖。有異於常者。別炊飯一斗進焉。復喫了無遺。公大異之。以祿一斛施之。使蒼頭負之而隨。及出門。告遣奴卽還。自負擔出歸。公聞之。急使人尋之。不得其迹。公親出追之。聞有負米一僧入王輪寺門者。卽入寺尋之。又不知其所如。偶欲禮丈六。入金堂見之。則有祿一斛在佛香案上。於是大悟。其僧乃丈六權化也。此靈驗四也。是皆故首座僧傑。傳之於宗門大士正林者也。正林後亦爲僧統。皆釋門老匠。精信謹篤大和尙也。豈妄傳之哉。其古老所傳章章播在人口者。則方丈六之入于寺也。以大車載之。輓者無慮百萬人。塡咽道路。有豚市商人輩。亦發隨喜心。倂力推轂。衆力如是而車忽不行。典事僧怪之。登高岸望之。則有群豕夾轂而行。因悟惡業之爲礙也。禁其人不得與推輪。然後車乃得行。此靈驗五也。又以古今擧國人所嘗親見者言之。國將有變。丈六先出汗示之。丈六出汗。則左右補處泥塑像及石刻華嚴經中凡如來世尊佛菩薩字。亦皆霑濕。餘字則否焉。是亦丈六所以護我國家。先之以警曉者已。此靈驗六也。皎公鑄此像。自成廟御宇八年大宋端拱元年戊子始之。至丁酉歲。凡十年乃成矣。按傑公所傳云。寺經回祿之災。凡文籍與丈六靈驗十餘條記。竝爲煨燼。今貧道所傳。特遺漏餘也。以是言之。則靈驗不啻此耳。後復有記其遺漏者。追附于此。亦可也。唯崔侍中齋僧事。所說不同。傑公之言則曰。有緇褐僧到門乞食云云。業門耆舊今之所說則云。公每趁日飯一僧。屬其奴曰。汝出求僧。先遇者是有緣僧。▣▣必以是邀之。奴一日出求僧。有一僧衣裳藍縷。形貌極醜。奴避而不邀。更覓他僧。則又其僧出見之。如是者數四。奴嫌其醜。便不肯邀之。還以狀白於公。公怒曰。是吾所謂有緣僧也。汝速去邀之。奴出見。又其僧在焉。則邀致於宅。公賜以食云云。此說未知孰是。兩皆有異。故存之。國家以丈六殿之頽殘。方命而修葺也。今相國淸河崔公。甚有力焉。公又聞佛蓋與幢蓋之多至殘毀。乃嘆曰。此皆梵儀之眉目也。不崇飾。無以備佛儀之最巨者。尋命工營之。百寶光明。爛然奪目。眞古所未見也。公覽遺記。嗟嘆不已。但以其所記。皆方言俚語。而不可久其傳。故命予文之。小子敢再拜稽首。爲之記云。時大歲乙西十二月日。朝議大夫試國子祭酒翰林侍講學士知制誥李奎報字春卿。謹誌。復讚之以頌曰。
詳しく見れば、仏法が三韓に及んでから、内から外に至るまで寺々が互いに眺め合うようになった。仏像を据えることに至っては、どの寺にもない所がない。ただ、すべての仏は一つの体である。およそ仏像のある所に、霊妙な応えを現すものとそうでないものがあるのは、凡夫の思いが及ばない所であるから、何で推し量ろうか。
とはいえ、すべての仏と菩薩は神通と方便において遊ぶことが自在で、よいもわるいもなく、また色や形で求められる方ではない。とすれば、その光と霊妙さを現さないのは、できないからではなく、ただその働きを隠しているだけである。ときに機に応じ感に赴いて、その霊妙な応えを現すことがあれば、これもまたおのずからなる方便が示されたものであり、おおむね至れる方には細かな事である。
しかし世の凡庸な目で見れば、どうして驚き、また不思議に思って、篤い信の心を起こさないであろうか。篤い信の心が厚ければ、仏はすぐ応えて、その霊妙な応えがまたいよいよ現れる。これが世で「某の寺の某の仏像に大きな霊験がある」と騒がしく言い伝える類である。
いま都の北に寺があって、王輪という。これは海東の宗門が常に法輪を転ずる大きな伽藍である。寺に毘盧遮那の丈六金像が一軀ある。
聞けば、昔、二人の比丘があって、一人は巨貧、一人は皎光であった。ともに願を起こして金の像を鋳て成そうとして、俗にいわゆる棟梁となった。そのいわゆる棟梁とは、およそ僧が人に布施を勧めて仏事を営む者を呼ぶ言葉である。巨貧がその事を担い、皎光が助けた。
巨貧がある日ふいに、助ける者に言った。 「事に私の意にかなわないことが多い。そのうえ年も老いたから、必ず事を終えられないだろう。まさに皆骨山に入ってみずから焼けて死ぬから、お前は私の舎利を拾って持ち、人に勧めよ。そうすれば、喜んで布施しない者はないだろう。そうしてはじめて事を成せる。」
言い終えてその山に入って道を修め、丙申の年八月十五日に、摩訶衍の方丈の北の峰で、生きたままみずからの身を荼毘した。皎公はその言葉どおりに霊妙な骨を収めて箱に納め、みずから背負って都に帰り、人に施しを勧めると、上は君から役人や士、民に至るまで、財を差し出さない者はなく、山のように積まれた。
板方里に、役の付かない将校が一人いたが、貧しくて物を差し出せなかった。十三歳ほどの娘がいて、この子を差し出して使い役をさせることを願った。皎公はやむなく受けた。そのころ城の南に将軍がいたが、名は失われた。年老いて子がなく、この子を引き取って養う子にすることを願って、布五百段を差し出した。
また星台洞に寡婦がいたが、家が貧しくて値の付く物がなく、宝としていた大きな鏡を差し出して施そうとした。そこで知らせて言った。 「この鏡が長く人の手に渡って、いまだに返ってきません。それで、いますぐには差し出せません。金を溶かす日になってから、取って持って行きます。」 皎公はそうしてよいと言った。
その時になると、日が遠くてうっかり忘れ、鏡の主に知らせないまま鋳た。出来上がってみると、およそ相好が備わらないところなく端正で厳かなのに、ただ胸の真ん中に欠けた所があった。僧はたいへん恐れて、まさに継いで鋳直すことを相談した。
鏡の主は像がもう出来上がったと聞いて大いに嘆いたが、すでに差し出すと決めたものだから、ついにその鏡を持って行って差し出した。ある人が鏡を仏の胸の欠けた隙に置いてみると、その隙と鏡がぴたりと合った。そこで仮に置いておき、日が明けるのを待って刻んだうえで埋めようとした。明け方に見ると、鏡はもうおのずから付いて、まるで鋳たように少しも跡がなかった。都の人が垣根のように立ち並んで見て、驚き不思議に思わない者はなかった。これが霊験の一つめである。
像が出来上がると、車に載せて寺に運び入れた。この日、金堂に安んじ据えようとしたが、門が低くて入らなかった。翌朝、上の敷居の木を外してから入れることにした。朝に見ると、仏はもう端然と座に座っていた。これが霊験の二つめである。
崔侍中精安は常に丈六の像を深く敬っていた。その家が寺の南の隣にあったので、官に出るたびに寺の門に至ると、すぐ馬を降りて拝んでから行った。公務から退いて朝宗門に至ると、また馬を降りて二度拝み、寺の門を歩いて通り過ぎてから馬に乗った。およそ新しく手に入れた物は、まず捧げてからあえて味わった。またときおり法堂に出て、手ずから茶を煎じて供えた。こうすることが久しかった。
ある日ふいに、夢に丈六が告げて言った。 「お前が私に仕えることは、まことに熱心である。しかし、寺の南の里の鷹揚府の老兵が心を向けたことには及ばない。」 公は翌日、人を遣わしてその家を探すと、はたして老兵が一人いた。公はみずから訪ねて行って尋ねた。 「聞けばお前は常に某の寺の丈六を敬っているというが、本当か。その敬い方は、また別にどのようなものか。」 答えた。 「老いた私が中風で起きられなくなってから、すでに七年です。ただ明け方と夕べに鐘の音を聞くと、その方を向いて手を合わせるだけです。どうしてほかの事がありましょうか。」 公は言った。 「それならば、老いた私が仏に仕えることは、お前の誠の至りには及ばない。」 これによってその人を大いに重んじ、禄を受けるたびにすぐ一斛ずつ与えた。これが霊験の三つめである。
また侍中が禄を受ける日に、黒い麻の衣を着た僧が門に来て食を乞うた。公は食を与えてその食べるのを見ると、並の人とは違っていた。別に飯一斗を炊いて差し出すと、また食べ尽くして残さなかった。公はたいへん不思議に思って、禄一斛を施し、召使に背負わせて付いて行かせた。門を出ると、召使にすぐ帰れと言って、みずから背負って出て帰った。
公はこれを聞いて急ぎ人を遣わして探したが、跡が分からなかった。公はみずから出て追った。米を背負った僧が一人、王輪寺の門に入ったと聞いて、すぐ寺に入って探したが、また行った所が分からなかった。ちょうど丈六を拝もうとして金堂に入って見ると、禄一斛が仏の香案の上に置かれていた。そこで大いに悟った。その僧はすなわち丈六がしばらく身を現したものであった。これが霊験の四つめである。
これはみな、亡き首座の僧傑が宗門の大師である正林に伝えたものである。正林は後にやはり僧統となった。みな仏門の老練な大家であり、信が篤く慎み深い大和尚であるから、どうしてみだりに伝えたであろうか。
古い老人が伝えて人の口にはっきりと上るものは、こうである。丈六が寺に入って来るとき、大きな車に載せて、引く者がおよそ百万人で道を埋めた。豚の市の商人たちもついて喜ぶ心を起こし、力を合わせて車輪を押した。多くの力がこうであるのに、車がふいに動かなくなった。事を預かる僧が怪しんで高い岸に登って眺めると、豚の群れが車輪を挟んで歩いていた。そこで悪い業が障りとなっていることを悟り、その人々が車輪を押すのに加われないようにしてから、車がようやく動いた。これが霊験の五つめである。
また、昔も今も国中の人がかつてみずから見たことで言えば、こうである。国に変事が起ころうとすると、丈六がまず汗を出して示す。丈六が汗を出すと、左右の補処の土で塑った像と、石に刻んだ『華厳経』のなかの、およそ如来・世尊・仏・菩薩という字も、みな濡れるが、ほかの字はそうでない。これもまた、丈六がわが国を守ろうとして、まず悟らせ知らせるのである。これが霊験の六つめである。
皎公がこの像を鋳たのは、成宗が国を治められた八年目、宋の端拱元年の戊子に始めて、丁酉の年に至るまで、およそ十年でできあがった。
傑公が伝えたものを見ると、こう言っている。 「寺が火の災いに遭って、およそ文書と、丈六の霊験十数条を記した記録がみな焼けてしまった。いま貧道が伝えるものは、ただ漏れて残ったものだけである。」 これから言えば、霊験はこれだけではない。後にまた、その漏れたものを記す人があれば、ここに続いて付け加えてもよい。
ただ、崔侍中が僧に斎を供した事は、言うところが同じでない。傑公の言葉は「黒い麻の衣を着た僧が門に来て食を乞うた」云々というものである。仏門の老人たちがいま言うのは、こうである。 公は毎日、僧を一人食べさせようとして、その召使に言いつけた。 「お前は出て僧を探せ。先に出会った者が縁のある僧である。□□ 必ずこの人を迎えて来い。」 召使がある日、出て僧を探すと、ある僧が衣がぼろぼろで、見た目がひどく醜かった。召使は避けて迎えずに、また別の僧を探すと、またその僧が出て来て見えた。こうすることを三、四度した。召使はその醜さを嫌ってすぐに迎えようとせず、帰って事情を公に申し上げた。公は怒って言った。 「これが私の言った縁のある僧である。お前は早く行って迎えて来い。」 召使が出て見ると、またその僧がいたので、家に迎えて来た。公が食を与えた云々という。 この話は、どちらが正しいか分からない。二つがどちらも違うので、そのまま置く。
国で丈六殿が崩れ壊れたというので、まさに命じて葺き直した。いま相国の清河崔公がたいへん力を入れた。公はまた、仏の天蓋と幢の蓋が多く壊れ割れていると聞いて、嘆いて言った。 「これはみな仏の荘厳の眉であり目である。高く飾らなければ、仏の荘厳のなかで最も大きなものを備えられない。」 続いて工人に命じて作らせると、さまざまな宝が輝いて、目を奪うばかりであった。まことに昔から見たことのないものであった。
公は残った記録を見て嘆くことをやめなかった。ただ、その書かれたものがみな田舎の言葉と卑しい言葉で、長く伝えられなかったので、私に命じて文に整えさせた。小子はあえて二度拝み頭を下げて記を作る。ときは乙酉の年十二月某日。朝議大夫・試国子祭酒・翰林侍講学士・知制誥の李奎報、字は春卿が謹んで記す。さらに頌で讃える。
夾注 1
曾
かつて
2頌
淸淨一體。月映秋水。卽之朗然。攬之邈矣。毗盧境地。本絶思議。造像者夢。讚者亦爾。
清く浄らかな一つの体よ 月が秋の水に映る 近づけば明らかで 掴もうとすればはるかである 毘盧遮那の境地は もとより思いも議論も絶えている 像を作った者も夢であり 讃える者もまたそうである