いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 前集 巻26

東閣の呉世文に潮水を論じて送った文寄吳東閣世文論潮水書

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 1,098字 · 朗読 10.2分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻26 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

月日。良醞丞同正李某。謹再拜奉書于東閣大丈先生座下。僕不揆頑騃。自未冠時。已脫略同輩。喜與先生長者遊。然未有博大眞儒如先生輩者而得與之遊。日聞所不聞也。先生長我無慮三十餘年。則雖子畜之弟畜之尙可。而乃許以忘年。僕安敢當之。日昨。枉車騎顧僕於蓬蓽之中。索僕近所著詩文。方垂覽之際。從容謂之曰。吾嘗著潮水論。未曾示人。子好學者也。異日過我。當以見示。僕聞之。自以爲今之能文博古老儒宿學。不爲不多。而獨以僕爲可敎。將示以箱中之祕寶。如僕者宜萬萬榮且感也。迨數日造謁而請之。則翻然改曰。吾之論。不足觀也。子亦著若論若說。窮釋潮之所自。然後吾亦示之也。而卒不爲之借觀。僕初不知先生之有此論。以先生先及之。故不憚道遠。趨造於門墻。而反不許觀。甚恨甚恨。噫。僕涉學日淺。新進小生也。何足知潮之所以進退盈縮之理哉。如知之。又何必要公之論而痛欲見耶。夫鳥獸草木常生常化之理。陰陽奇耦之數。寒暑往來之變。與夫天地所以玄黃。日月所以盈昃。其道茫昧。宜若不可測知。然經傳子史。講之之詳。故凡老於儒者。雖未能洞然大曉。亦無有不得其彷彿者。而僕尙曚然昧然者。徒以年少識劣。讀書未力故爾。況潮水之源。雖古人猶或罕言。僕是何者。敢以區區之識。紛然辨列。使當世之士撫掌大笑耶。然而先生有以及此者。吾知之矣。此必料僕之決不能著書論潮。先設所難。杜塞來徑。欲勿出其論耳。意者豈以僕爲狂瞽無識。而不欲使之見耶。苟如是。昨之許以見示。特誑我也戲我也。豈篤信君子與人勿欺之意乎。不然。僕豈昨日爲可敎之人。而今日忽狂瞽無識耶。抑或以爲世無知者。而姑傳于後。將以俟來者之知耶。苟如是。先生忍不令同時作者共甘滋液。而獨使異世之士。得前人所未得嘗希世之味。而咀嚼甘芳。飫於口飽於腹耶。是大不然。想先生必不爾也。然則未識先生之志之何如也。若終祕嗇而不出焉。則非吾分所當得。是吾不復有冀矣。但仰問一言。要識其旨歸耳。伏惟先生聽之。先生立論。必有根據。據何書證何人而言耶。若以水經爲據。則水經已有其說。何更有先生之說乎。若以盧肇爲證。則其賦已詳之矣。先生之論。必不能更及也。抑聞釋氏有論。釋氏則因說法而證引耳。非必特地爲海潮而表量剖析也。況以釋氏爲準。則儒家之短也。儒先釋生。通天地曰儒。儒必待釋氏然後言天地耶。是亦非所以爲證也。其餘古人所云地游應海。介人呼吸。陽侯靈胥。鼓怒所作。則尤無所可取也。以先生之宏識博學。當別有所論述。傳播士林。有以聳動衆聽。知世有博物君子宜矣。而何深閉固拒若是之甚耶。僕嘗以水經肇賦。私折衷焉。則水經所謂鰌魚出入有候。故潮之進退有期。此則似爲賤近。雖僕亦未知的信也。盧歙州獨判然決疑。以潮之進退。因乎日其盈其縮。與月同體。因自設十四問。隨而釋之。窮理盡性。妙入毫芒。其法與易象渾天吻合。吾以此爲確論。竊謂後雖有論者。殆未能過此。及聞先生有所論著。汲汲然求見之滋切。如渴者之思飮。痒者之待爬。而未嘗須臾弛念也。伏望閣下不惜祕蘊。還以一言見賜。指其所以證據之意。使小子拂聾披瞽。粲然觀黼黻之文。鏘然聞韶濩之音。則此亦大君子所以諭掖後進之一端也。不宣。某再拜。

某月某日、良醞丞同正の李某は、謹んで二度拝み、東閣のご老台の座下に文を差し上げます。

私はみずからの鈍く愚かなことを量らずに、冠をかぶる前からすでに同年の者から抜け出て、先生や年長の方々と交わることを好みました。しかし先生のように広く大きなまことの士に出会って交わり、日々聞かなかったことを聞いたことはありませんでした。先生は私よりおよそ三十年あまり上ですから、子のように育て、弟のように取り立ててくださってもなおふさわしいのに、年を忘れようと許してくださるのですから、私がどうして引き受けられましょうか。

先日、車と馬を屈めて蓬や雑木のなかにいる私を訪ねてくださり、私が近ごろ作った詩や文を探して見られました。ちょうど目を通しておられたとき、静かにおっしゃいました。「私はかつて潮水論を作ったが、まだ人に見せたことがない。あなたは学を好む人だから、後日、私を訪ねて来れば、まさに見せよう。」私はその言葉を聞いて、みずからこう思いました。今日、文が上手で古いことに広い老いた士や、長く学んだ人が少なくないのに、ただ私だけを教えるに足ると思われて、箱のなかの隠れた宝を見せようとされるのだから、私のような者にとっては万度の栄えであり、万度の有り難いことだと。

数日後に伺って願うと、ふいに言葉を変えておっしゃいました。「私の文は見るに足らない。あなたも論でも説でも作って、潮水がどこから来るのかをすべて解いてみよ。そうしてから私も見せよう。」そうして、ついに貸して見せてはくださいませんでした。私は初め、先生にこの文があることを知りませんでした。先生が先に言い出されたので、道の遠いのも嫌わずに門口へ駆けつけたのに、かえって見ることを許されないのですから、たいへん心残りです、たいへん心残りです。

ああ、私は学に入った日が浅い、出て来たばかりの若輩です。どうして潮水が進み退き、満ち欠ける理を知るに足りましょうか。もしそれを知っているなら、また何のために公の文を求めて、切に見たいと思いましょうか。およそ鳥や獣、草や木が常に生じ常に変わる理、陰と陽の奇数と偶数の数、寒さと暑さが行き来する移り、そして天と地が黒く黄色いわけ、日と月が満ち傾くわけは、その道筋がはるかで推し量れないようです。しかし経や伝や諸子や史がこれを詳しく明らかにしているので、およそ士として老いた人は、はっきりと大いに悟れなくても、それに似たものさえ得られなかった人はいません。それなのに私がいまだにぼんやりと暗いのは、ひとえに年が若く知ることが浅く、書を読むことに努めなかったためです。まして潮水の源は、昔の人もなお稀にしか語りませんでした。私が何者であって、あえて取るに足らぬ知識で乱れて論じ並べ、この世の士たちに手を打って大笑いさせましょうか。

それでも先生がこうした言葉を出された理由を、私は分かります。これは必ず、私が潮水を論ずる文をとても作れないと見積もられて、まず難しいものを置いて来る道を塞ぎ、その文を出すまいとされたのです。思うに、あるいは私を狂った盲目で知るところがないと思われて、見せたくないのですか。もしそうであれば、先日見せようと許されたのは、ただ私を欺き私をからかったことですから、どうして信実で篤い君子が人を欺かない心でありましょうか。そうでなければ、私がどうして昨日は教えるに足る人であったのに、今日ふいに狂った盲目で知るところがなくなるのでしょうか。

また、あるいは世に分かる者がないと思われて、ひとまず後に伝わって来る人が分かってくれるのを待とうとされるのですか。もしそうであれば、先生は、一時の文を作る人たちに甘い汁をともに味わわせることにはあえてなさらず、ただ別の世の士だけが、前の人が得られなかった世にまれな味を得て、甘く香るものを噛んで口にあふれ腹に満ちるようにさせようとされるのですか。これは大いにそうではなく、先生は必ずそうなさるまいと思います。とすれば、先生のお心がどうであるのか分かりません。もし最後まで隠し惜しんで出されないのであれば、それは私の分として当然得るべきものではありませんから、私はもう望みません。ただ仰いで一言お尋ねしたいのは、その心の帰する所を知りたいだけです。謹んで、先生はお聞きください。

先生が論を立てられたのであれば、必ず拠るところがあるでしょう。どの書に拠り、どの人を挙げて言われたのですか。もし『水経』を拠りとされたのなら、『水経』にすでにその言葉があるのですから、どうしてさらに先生の言葉がありましょうか。もし盧肇を証とされたのなら、その賦ですでに詳しく語っているのですから、先生の論が必ずそれを超えて及ぶことはないでしょう。

また聞けば、仏家にも論があるといいます。しかし仏家は法を説きながら引いて証に挙げただけで、ことさら海の水の満ち潮について量り分けて明らかにしたのではありません。まして仏家を基準とするなら、それは儒家の足りなさです。儒家が先で仏家が後に生まれ、天と地に通じる者を儒というのに、儒家が必ず仏家を待ってから天と地を語りましょうか。これもまた証とすべきものではありません。そのほか、昔の人が言った「地が浮いて海に応ずる」「殻のあるものが息をする」「陽侯と霊胥が怒って膨らませ起こす」といった類は、いよいよ取るに足りません。

先生の広い知識とあまねく学ばれたことで、まさに別に作っておかれたものがあって、士たちのあいだに広めて多くの人の耳を驚かせ、世に物を広く知る君子がいることを分からせるべきです。それなのに、どうして深く閉じ固く塞ぐことを、これほど甚だしくされるのですか。

私はかつて『水経』と盧肇の賦を手にして、ひそかに比べ合わせてみました。『水経』にいう「大きな魚が出入りするのに季節があるから、潮水が進み退くのに時がある」というのは、低く浅いようで、私でさえぴたりと信ずるに足るか分かりません。歙州の盧肇だけが、はっきりと疑いを分けました。潮水が進み退くのは日によるものであり、その満ち欠けは月と一体だというのです。それでみずから十四の問いを置いて、順に解いたのですから、理を尽くし性を尽くして、妙が毛の先まで入り、その法が易の象と渾天の数にぴたりと合います。私はこれを確かな論だと思い、ひそかに思うに、後に論ずる人があっても、おそらくこれを越えないでしょう。

そのうちに、先生に作っておかれたものがあると聞いて、見たいと求める心がいよいよ切になり、渇いた者が飲み物を思い、かゆい者が掻いてもらうのを待つようで、しばらくも心を離したことがありません。伏して願います、閣下は隠しておかれたものを惜しまず、かえって一言を下して、その証とされた心を指し示してください。幼い私の塞がった耳を払い、閉じた目を開いて、明るく模様を置いた文を見せ、清らかに響く韶と濩の音を聞かせてくださるなら、これもまた大いなる君子が後に来る者を教え導く一つの事です。

これ以上は尽くせません。某は二度拝みます。