いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 前集 巻26

全履之が文を論じた手紙に答える文答全履之論文書

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 1,348字 · 朗読 11.8分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻26 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

月日。某頓首。履之足下。間闊未覿。方深渴仰。忽蒙辱損手敎累幅。奉翫在手。尙未釋去。不惟文彩之曄然。其論文利病。可謂精簡激切。直觸時病。扶文之將墮者已。甚善甚善。但書中譽僕過當。至況以李杜。僕安敢受之。足下以爲世之紛紛效東坡而未至者。已不足導也。雖詩鳴如某某輩數四君者。皆未免效東坡。非特盜其語。兼攘取其意。以自爲工。獨吾子不襲蹈古人。其造語皆出新意。足以驚人耳目。非今世人比。以此見褒抗僕於九霄之上。玆非過當之譽耶。獨其中所謂之創造語意者。信然矣。然此非欲自異於古人而爲之者也。勢有不得已而然耳。何則。凡效古人之體者。必先習讀其詩。然後效而能至也。否則剽掠猶難。譬之盜者。先窺諜富人之家。習熟其門戶墻籬。然後善入其室。奪人所有。爲己之有。而使人不知也。不爾。未及探囊胠篋。必見捕捉矣。財可奪乎。僕自少放浪無檢。讀書不甚精。雖六經子史之文。涉獵而已。不至窮源。況諸家章句之文哉。旣不熟其文。其可效其體盜其語乎。是新語所不得已而作也。且世之學者。初習場屋科擧之文。不暇事風月。及得科第。然後方學爲詩。則尤嗜讀東坡詩。故每歲榜出之後。人人以爲今年又三十東坡出矣。足下所謂世之紛紛者是已。其若數四君者。效而能至者也。然則是亦東坡也。如見東坡而敬之可也。何必非哉。東坡。近世以來。富贍豪邁。詩之雄者也。其文如富者之家金玉錢貝。盈帑溢藏。無有紀極。雖爲寇盜者所嘗攘取而有之。終不至於貧也。盜之何傷耶。且孟子不及孔子。荀楊不及孟子。然孔子之後。無大類孔子者。而獨孟子效之而庶幾矣。孟子之後。無類孟子者。而荀楊近之。故後世或稱孔孟。或稱軻雄荀孟者。以效之而庶幾故也。向之數四輩。雖不得大類東坡。亦效之而庶幾者也。焉知後世不與東坡同稱。而吾子何拒之甚耶。然吾子之言。亦豈無所蓄而輕及哉。姑藉譽僕。將有激於今之人耳。昔李翺曰。六經之詞。創意造言。皆不相師。故其讀春秋也。如未嘗有詩。其讀詩也。如未嘗有易。其讀易也。如未嘗有書。若山有恒華。瀆有淮濟。夫六經者。非欲夸衒詞華。要其歸率皆談王霸論道德與夫政敎風俗興亡理亂之源者也。其辭意宜若有相襲。而其不同如此。所謂今人之詩。雖源出於毛詩。漸復有聲病儷偶依韻次韻雙韻之制。務爲雕刻穿鑿。令人局束不得肆意。故作之愈難矣。就此繩檢中。莫不欲創新意臻妙極。而若攘取古人已導之語。則有許底功夫耶。請以聲律以來近古詩人言之。有若唐之陳子昂,李白,杜甫,李翰,李邕,楊,王,盧,駱之輩。莫不汪洋閎肆。傾河淮倒瀛海。騁其豪猛者也。未聞有一人效前輩某人之體。刲剝其骨髓者。其後又有韓愈,皇甫湜,李翺,李觀,呂温,盧同,張籍,孟郊,劉,柳,元,白之輩。聯鏕竝轡。馳驟一時。高視千古。亦未聞效陳子昂若李杜楊王而屠割其膚肉者。至宋又有王安石,司馬光,歐陽脩,蘇子美,梅聖兪,黃魯直,蘇子贍兄弟之輩。亦無不撑雷裂月。震耀一代。其效韓氏皇甫氏乎。效劉柳元白乎。吾未見其刲剝屠割之迹也。然各成一家。梨橘異味。無有不可於口者。夫編集之漸增。蓋欲有補於後學。若皆相襲。是沓本也。徒耗費楮墨爲耳。吾子所以貴新意者蓋此也。然古之詩人。雖造意特新也。其語未不圓熟者。蓋力讀經史百家古聖賢之說。未嘗不熏鍊於心。熟習於口。及賦詠之際。參會商酌。左抽右取。以相資用。故詩與文雖不同。其屬辭使字。一也。語豈不至圓熟耶。僕則異於是。旣不熟於古聖賢之說。又恥效古詩人之體。如有不得已及倉卒臨賦詠之際。顧乾涸無可以費用。則必特造新語。故語多生澁可笑。古之詩人。造意不造語。僕則兼造語意無愧矣。由是。世之詩人。橫目而排之者衆矣。何吾子獨過美若是之勤勤耶。嗚呼。今世之人。眩惑滋甚。雖盜者之物。有可以悅目。則第貪翫耳。孰認而詰其所由來哉。至百世之下。若有人如足下者。判別其眞贗。則雖善盜者。必被擒捕。而僕之生澁之語。反見褒美。類足下今日之譽。亦所未知也。吾子之言。久當驗焉。不宣。某再拜。

某月某日、某は頭を下げます。履之足下。長く離れてお目にかかれず、まさに深く渇くように仰いでおりました。ふいに手ずから書かれたお教えを幾枚も下さり、手に受け取って楽しんで、まだ放せません。文の輝きが明るいだけでなく、文の優れと病を論じたところが精しく簡潔で、鋭く切であるといえ、まさにこの時代の病に当たって、崩れようとする文を支えています。たいへん良い、たいへん良い。ただ、文のなかで私を褒めることが過ぎて、李白や杜甫に比べるまでなさったのですから、私がどうしてあえて受けられましょうか。

足下は、世で乱れて東坡を模して及ばない者たちは、もう挙げるに足らないと言われました。詩で名高い某々の四、五人さえ、みな東坡を模することを免れず、その言葉だけを盗むのではなく、その意まであわせて奪って自分の手際とするとも言われました。ただ私だけは昔の人を踏んで従わず、その言葉作りがみな新しい意から出て、人の耳と目を驚かすに足りるから、この世の人と比べるものではないと言われました。それで私を褒めて九つの天の上に持ち上げられたのですから、これは褒めすぎではありませんか。

ただ、そのなかでいわゆる言葉と意を新しく作り出すということは、まことにそのとおりです。しかしこれは、みずから昔の人と違おうとしてそうしたのではなく、勢いとしてどうしようもなくてそうなっただけです。なぜか。およそ昔の人の体を模す者は、必ずまずその詩を習い読んでから、模して及ぶことができます。そうでなければ、盗むことさえかえって難しいのです。盗人にたとえれば、まず富んだ家を窺ってその門と垣を知り尽くしてから、その部屋にうまく入り、人のものを奪って自分のものとしながら、人に知られないようにします。そうでなければ、袋を探り箱を開ける前に必ず捕まります。財を奪えましょうか。

私は幼いころから気ままに遊んで締めがなく、書を読むことがそれほど精しくありませんでした。六経や諸子や史の文さえ大まかに目を通しただけで、源を究めるには至りませんでした。まして諸家が文句を解いた書はどうでしょうか。すでにその文に通じていないのですから、その体を模しその言葉を盗めましょうか。これが新しい言葉をどうしようもなく作り出すわけです。

また世の学ぶ者たちは、はじめに科挙の文を習って詩を吟ずるいとまがなく、科挙に上ってからようやく詩を作ることを学ぶので、いよいよ東坡の詩を読むのを好みます。だから毎年、榜が張り出された後には、人ごとに「今年もまた東坡が三十人出た」と言います。足下のいう「世の乱れた者たち」がこれです。あの四、五人のような人は、模して及んだ人たちです。とすれば、これもまた東坡です。東坡を見たように敬ってもよいのですから、ことさら誤りだとすることが何でしょうか。

東坡は近世以来、ゆたかで豪放な、詩の英雄です。その文は、富んだ家の金と玉と銭と貝が蔵に満ちあふれて果てがないようです。盗人が奪って持ったとしても、ついに貧しくはならないのですから、盗まれて何を痛むでしょうか。

また孟子は孔子に及ばず、荀子と揚雄は孟子に及びません。しかし孔子の後に大いに孔子に似た人がないのに、ただ孟子が模してほぼ近く、孟子の後に孟子に似た人がないのに、荀子と揚雄が近かったのです。だから後の世で「孔孟」といい、「賈揚」だの「荀孟」だのというのは、模してほぼ近かったからです。さきに言った四、五人も、東坡に大いに似ることはできなかったとはいえ、やはり模してほぼ近い人たちです。後の世で東坡と並べて称さないと、どうして分かりましょうか。それなのに、あなたはどうしてそれほど遮られるのですか。しかし、あなたの言葉もまた、どうして蓄えなく軽く出たものでしょうか。ひとまず私を褒めることを借りて、近ごろの人々を揺り動かそうとされただけです。

昔、李翺が言いました。「六経の言葉は意を新しく出し言葉を作って、みな互いに模さなかった。だから『春秋』を読めば『詩』があったことがないようであり、『詩』を読めば『易』があったことがないようであり、『易』を読めば『書』があったことがないようである。山に恒山と華山があり、大きな水に淮水と済水があるのと同じである。」およそ六経は言葉の花を誇ろうとするものではなく、その帰する所を見れば、みな王道と覇道を語り、道徳を論じ、政治と教えと風俗、興り亡び治まり乱れる源を語ったものです。その言葉と意が互いに受け継いだところがありそうなのに、違いがこのようです。

いわゆる近ごろの人の詩は、源は『毛詩』から出たとはいえ、次第にまた声の病や対句、韻に従い韻を継ぎ韻を重ねる法が生じて、彫り穿つことに努め、人を縛って意を思いきり伸ばせないようにします。だから作るのがいよいよ難しいのです。この縛りのなかでも、新しい意を出して妙の極みに至ろうとしない人はないのに、もし昔の人がすでに引いて使った言葉を奪うなら、何の工夫があるでしょうか。

願って、声律が生じた後の、近い昔の詩人で言ってみましょう。唐の陳子昂・李白・杜甫・李翰・李邕、そして楊氏・王氏・盧氏・駱氏のような人々は、みな広く大きくほしいままで、黄河と淮水を傾け大海をひっくり返して、その豪放さを走らせた人々です。一人も、前の人の誰かの体を模してその骨や髄を抜き取ったとは聞きません。その後にまた韓愈・皇甫湜・李翺・李観・呂温・盧同・張籍・孟郊、そして柳氏・劉氏・元氏・白氏のような人々が、轡を連ね手綱を並べて一時を走り、千古を高く見ました。やはり陳子昂や李白・杜甫・楊・王を模してその肉を割いたとは聞きません。宋に至ってまた王安石・司馬光・欧陽脩・蘇子美・梅聖兪・黄魯直、そして蘇子瞻の兄弟のような人々があって、やはり雷を押し上げ月を裂いて一時代を揺るがし輝かせない人はありません。彼らが韓氏や皇甫氏を模したでしょうか。柳・劉・元・白を模したでしょうか。私はその抜き取り割いた跡を見ません。それでもそれぞれ一つの家を成したのですから、梨と橘が味が違っても口に合わないものがないのと同じです。

およそ編まれた書が次第に増えるのは、おおむね後に学ぶ人の益になるようにするためです。もしみな互いに受け継ぐなら、これは同じものを重ねて刷ることですから、ひとえに紙と墨をむだに使う事にすぎません。あなたが新しい意を貴ばれるわけは、おおむねこれです。

しかし昔の詩人は、意を作り出すことがとくに新しかったとはいえ、その言葉が円かに熟していないものはありませんでした。おおむね経と史と百家と昔の聖賢の言葉を努めて読んで、心に慣らし口に慣らさなかったことはありません。吟ずるときになると比べ集めて量り、左から抜き右から取って、互いに材料としました。だから詩と文は違うとはいえ、言葉を連ね字を使うことは一つです。言葉がどうして円かに熟するに至らないでしょうか。

私はこれと違います。すでに昔の聖賢の言葉に通じておらず、また昔の詩人の体を模すことを恥じます。どうしようもないときや、急に吟ずる席に至ると、見まわしても枯れて使うものがないので、必ず新しい言葉を別に作り出します。だから言葉が生硬でぎこちなく、笑いものになるものが多いのです。昔の詩人は意を作り出しても言葉を作り出さなかったのに、私は言葉と意をあわせて作り出しても恥じるところがありません。このために、世の詩人のなかには目を見張って私を押しのける人が多いのです。どうしてあなただけが、これほど熱心に褒めすぎてくださるのですか。

ああ、近ごろの人は目が乱れ曇ることがいよいよ甚だしく、盗人の品でも目に楽しければ、ただ貪って楽しむだけです。誰が見抜いて、その来た所をただすでしょうか。百代の後に足下のような人があって、まことと偽りを分けるなら、盗みの上手な者でも必ず捕まるでしょう。そして私の生硬でぎこちない言葉が、かえって褒められて、足下の今日の称賛と同じになるかも分かりません。あなたの言葉は、久しくなればまさに当たるでしょう。

これ以上は尽くせません。某は二度拝みます。