いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 前集 巻26
首座の懐璨に手ずから書いた文寄懷璨首座手書
東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻26 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。
月日。某頓首席端法主丈下。僕近欲赴完山幕府。臨去當往拜。得受一杯大道漿。然後辭訣耳。前所囑護歸信住老事。已曾銘心。幸勿復慮。僕之理裝。雖歷丏於人。甚類浮屠之求人隨喜者。亦隨分辦得。已畫歸期。但僕在京師。每造丈室。未嘗不陪輭話寫幽情。以此爲快耳。一行作吏。爲簿領所縛。當鬱悒時。顧與話者誰歟。迨三年然後見之。未爾間。千萬爲法自愛。不宣。某再拜。
某月某日、某は法主のお座の前に頭を下げます。
私はこのたび完山の幕府に行こうとしています。発つころ、まさに伺ってお目にかかり、大きな道の水一杯をいただいてから暇を告げます。先に頼まれた、帰信寺に住まわれる老師を世話することは、もう心に刻みましたから、どうかもう心配なさらないでください。
自分の旅支度を整えるのに多くの人に乞いましたから、僧が人に施しを求めるのとたいへん似ていますが、また分に応じて整え、旅に出る日ももう決めました。ただ、私が都にいて、お部屋に行くたびに柔らかいお話に侍り、幽かな思いを注ぎ出さないことはありませんでしたから、これをすがすがしく思っていました。ひとたび行って役人となり文書に縛られれば、気が塞がったとき、振り返って話せる人は誰でしょうか。
三年たってからお目にかかることになりますから、そのあいだ、どうかどうか法のためにお身を大切に。これでやめます。某は二度拝みます。