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蒙古国の元帥に送る文送蒙古國元帥書

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 235字 · 朗読 1.9分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻28 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

右啓。季春。緬惟元帥幕府節下起居萬順。馳戀之誠。靡須臾暫捨也。前所使陪送行李郞將池義深來。稱貴國廻駕次。喩你等此去。須於春三月時發遣人。使會得我國坐住處。今依所敎。復差前使池義深及若干人等發遣前去。其每來文字內所及諸𤳖事。圖踵後廻報。伏冀炤悉。又閱淮安公所蒙手簡。稱你國選揀人戶。赴開州館及宣城山脚底住坐種田。竊思大國所以割與分地。將使吾民耕食。則其義在所欣感。然我國每處人民牛畜等物故損失者大夥。故遮一國區區之地。尙不勝耕墾。忍使鞠爲茂草。況於千里邈遠大國之境。將部遣甚處人物牛畜等。使之耕種耶。力所不堪。理難強勉。惟大度諒之。云云。

申し上げます。晩春です。遠く、元帥幕府の節下が万安であろうと思います。駆けつけて慕う誠は、しばらくも放したことがありません。

さきに使者に随って送った郎将の池義深が来ました。貴国が車を返されるとき、「お前たちは今度行って、必ず春三月に人を遣わして、わが国がとどまる所を知って来させよ」と言われたといいます。いま言われたとおりに、あらためて前の使者である池義深と幾人かを選んで送ります。送られた文ごとに言われたさまざまな事は、追って回答しようと思います。謹んで汲んでくださるよう願います。

また、淮安公が受けた手ずから書かれた手紙を見ると、「お前の国が民を選び抜いて、開州館と宣城山の裾に行って住み、田を耕させよ」とありました。ひそかに思いますに、大きな国が地を分けて与えてくださって、わが民が耕して食べられるようにされるのですから、その義は喜ばしく有り難いことです。しかしわが国は、所ごとに民と牛が死に失われたものがたいへん多いのです。だからこの国の細かな地さえすべて耕せず、やむなく休ませて雑草が茂るままにしています。まして千里もはるかに遠い大きな国の地に、どこの人と牛を率いて送って耕し植えさせましょうか。力が及びませんから、理としても無理にはしがたいのです。ただ大きな度量で量ってください。云々。

夾注 1

是年三月。池義深齎去。

この年の三月に池義深が持って行った。