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撒里打官人に答える文答沙打官人書

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 364字 · 朗読 3.1分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻28 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

右啓。忽奉鈞旨。伏審台候萬福。欣慰倍切。前者。大國以國王不出交。大官人出來爲諭。小國如前書所載。雖畏懼大國。入處于此。以勤仰之心。有加無已。故不敢違忤嚴命。已遣大官人某詣幕下。方候寵答。而復以國王不出交。崔令公出來事及之。所諭踵至如此。弊邑將若之何。伏望幕下諒窮迫之情。小示以寬。以副傾企之望。幸甚。其所輸皇帝處國信。則雖竭力盡誠。勤於準備。方小國之移徙也。唯與不多人民。倉卒入於水內。所轉財物。亦爲欠少。故以微薄土物。聊欲表誠耳。今蒙鈞旨。諭及更罄所有。小添前數奉進。慙恐慙恐。趙兵馬宋立章發遣事。叔璋自上國廻來次。不幸値心腹之疾。至今猶未安較。故未卽發遣。所謂宋上章者。我國之遷移。莫不因其言。而其後我國兩𤳖使優。自上國還來。言立章所言。本非上國之意。不可謂的實。於是朝廷僉議以爲此人非特以浮說妄言動搖衆心。亦使萬人逃閃。至令一國大遷于此地。罪不可赦。遂捕送深窵海島久矣。今依來命。已遣人卽其所。將收拿發來者。伏惟炤悉。無任祈恩望惠激切之至。云云。

申し上げます。ふいに尊いお旨を奉じて、ご尊体が万福であることを謹んで知りましたから、喜びと慰めが倍に切です。

このあいだ、大きな国が、国王が出て来ないなら大官人でも出て来いと言われました。小さな国は、さきに文に書いたとおり、大きな国を畏れながらもここに入って住んでいますが、熱心に仰ぐ心は増すばかりでやみません。だからあえて厳しい命に背けず、もう大官人の某を幕下に送って、まさに恵み深い答えを待っていました。ところが、あらためて、国王が出て来ないなら崔令公でも出て来いという事を言われました。言われることが続いてこのようですから、わが郡はこれからどうしましょうか。伏して願います、幕下が窮して差し迫った事情を量られて、少しでも寛さを示してくださり、傾けて望むところにかなえてください。まことに幸いでしょう。

皇帝に献じる国の贈り物は、力を尽くし誠を尽くして整えるのに熱心でした。小さな国が移るときに、多くない民とともにあわてて水の内に入って、移した財も少なかったのです。だから拙い土地の産物でも誠を表そうとするばかりです。いま尊いお旨で持っているものをすべて払えと言われましたから、前の数に少し加えて献じます。恥じ、畏れます。

趙兵馬と宋立章を送れと言われた事です。叔璋が大きな国から帰るとき、不幸に腹の病を得て、いままで治らなかったので、すぐ送れませんでした。いわゆる宋立章という者は、わが国が移ったのがみな彼の言葉のためです。その後、わが国の使者が二度大きな国から帰って、宋立章が言ったことはもとより大きな国の意ではなく、まことだとはいえないと言いました。そこで朝廷がみな議して、この者が浮いた噂と空言で多くの人の心を揺り動かしただけでなく、万人を逃げさせ、国中をこの地に大きく移させたのだから、罪を許せないと言いました。ついに捕らえて深く遠い島へ送って久しくなります。いま送られた命に従って、もう人をその所へ遣わして捕らえて来させました。謹んで汲んでください。恵みを祈り望む心が切なことかぎりありません。

夾注 1

壬辰十一月

壬辰の年十一月である。