いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 前集 巻28

事情を申し上げる表陳情表

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 348字 · 朗読 3.6分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻28 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

云云。下國有傾輸之懇。膠漆益堅。上朝加譴責之威。雷霆忽震。聞命怖悸。失聲籲號。伏念臣猥以庸資。寄于荒服。仰戴天臨之德。擧國聊生。篤馳星拱之心。嚮風滋切。夫何徵詰。若此稠重。力所不堪。宜將誠告。言如可復。當以實陳。其詔旨所及添助軍兵。征討萬奴事。繄僻土是居。弊邑本惟小國。況大軍所過。遺民能有幾人。在者尙瘡痍之餘。加之因飢疫而斃。故莫助天兵之用。無奈違帝命之嚴。罪雖莫逃。情亦可恕。其親身朝覲事。自聞啓統。早合觀光。矧外臣榮覲於九天。固所望也。然藩位難虛於一日。玆實恐焉。其出人戶。使沙里打見數事。游舌所傳。大兵將討。在愚民而易惑。擧恒產以多逃。衆所同爲。勢難固禁。顧家戶蕭然如掃。乃及爲茂草之場。若君臣孑爾獨存。懼未辦苞茅之貢。庶收殘口。永事大邦。雖潛藏江海之間。楢夢寐雲霄之上。實畏懼之所致。冀聖明之不疑。心苟一於始終。地何論於彼此。伏望云云。廓包荒之度。垂字小之仁。存蓬艾之生。儻許全於一國。奉山野之賦。必不後於諸侯。云云。

下の国に傾けて捧げる切さがあって、膠や漆のようにいよいよ固いのに、皇帝の朝廷が咎める威を加えられて、雷がふいに鳴りました。命を聞いて畏れ震え、声を失って叫びました。

伏して思えば、臣は身に過ぎて劣った資で、荒れた辺りに身を寄せて住んでいます。天が見下ろされる徳を仰いで戴いて、国中がやっと生きています。星が北極に向かうような心を篤く走らせて、風に向かうことがいよいよ切です。それなのに、どうして問いただされることがこのように重なり重いのでしょうか。力が引き受けられないのですから、まさに誠で申し上げ、言葉を申し上げられるなら、まさに事実どおりに述べます。

詔で言われた、兵を加えて万奴を討てと言われた事です。片寄った地に住んでいますから、わが郡はもとより小さな国です。まして大きな軍が通り過ぎた後に、残った民が幾人でしょうか。残った者もなお傷を受けた残りなのに、そのうえ飢えと流行り病で死にました。だから天の軍のお使いを助けられず、皇帝の厳しい命に背かないわけにはいきませんでした。罪は逃れられませんが、事情はまた許されるに足ります。

みずから朝廷に参れと言われた事です。大統を開かれたと聞いてからは、早く伺ってお目にかかるのが当然でした。まして外の臣が九重の宮殿に伺って輝かしくお目にかかることは、まことに願うところです。しかし垣の席を一日でも空けがたいのですから、これがまことに畏れられます。

民を出して撒里打に数を示せと言われた事です。漂う舌が伝えて、大きな軍がやがて討つと言いました。愚かな民はたやすく惑って、暮らしを捨てて多く逃げました。多くの人がともにした事ですから、勢いとして強いて止めがたかったのです。振り返れば、家々が払われたように寂しくなって、ついに雑草の茂る庭になりました。君と臣だけが孤独に残るなら、茅を束ねて献じる貢ぎさえ整えられないことを恐れました。残った人々を収めて長く大きな国に仕えたいと思いました。川と海のあいだに隠れたとはいえ、それでも夢にも雲の天の上を慕います。まことに畏れが招いた事ですから、聖なる明らかな方が疑われないことを願います。心がまことに初めと終わりに一様であれば、地がここかあちらかを、どうしてただしましょうか。

伏して願います。粗いものまで包む度量を広げられ、小さな国を愛される仁を垂れてください。蓬のような命を生かされて一つの国を全くしてくださるなら、山と野の貢ぎを奉って献じることが、必ず諸侯に劣らないでしょう。

夾注 1

中謝

ここに中謝、すなわち礼を言う言葉が入る。