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女眞と漢人にひそかに告げる文密告女眞漢兒文

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 405字 · 朗読 3.7分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻28 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

密諗女眞漢兒等官人。其每次所通事。一一知之。比來你每及回回,阿萬等諸國人。厭隨蒙古。投來我國者衮衮不絶。其人等皆來傳你每所言云。阿每久爲蒙古驅逼。不堪其苦。又累載相從。細詳其本心。其猜忍莫甚。然今之不殺阿每者。非愛之也。凡攻破諸國城堡。次欲借力驅使耳。若諸國摠亡。則必不存阿每矣。是故。頃者羊波奴甚憤之。方蒙古之伐東眞也。率其屬往其本屯。盡殺了留在男女。遂入石城自保。蒙古於癸巳甲午年間。攻其城殺了底。自是後常疑吾屬者久矣。終必屠之可知也。聞高麗入都水內地甚寬廣。又善遇異國歸降者。各給口分田地。使耕而食之。其居可樂也。欲於此時逃出歸投。但難於出去。姑侯其隙矣。每來人所傳如是。其言不可不信。何者。且我國與你每國。通好僅百年。而略無嫌隙。況自未入水內時。於每處置投化場。以處你每之投來者。各給以上田令耕墾。安生樂業。其若官人者。許通仕籍。今於水內亦爾。則你每豈不聞之耶。其欲來投信然矣。果若爾言。則偕十人而來者。給廩食若干金帛若干。偕百人而來者。加等三倍。次次而上。亦如之。非特賞賜如此。皆處以好地安之。愼勿疑也。豈唯你每而已哉。諸國亦然。

女眞と漢人の諸官人にひそかに告げます。あなたがたが毎度知らせてこられた件は、一つ一つ承知しております。

近ごろ、あなたがたや回回・阿萬など諸国の人々が、モンゴルに従うことを厭ってわが国へ越えて来る者が次々と絶えません。その人たちが皆来て、あなたがたの言葉をこう伝えます。

「我らは長くモンゴルに追い立てられ迫られて、その苦しみに堪えられない。また幾年も付き従ううちにその本心を詳しく見てみると、猜み深く惨いことこの上ない。それでいて今我らを殺さないのは、惜しむからではない。諸国の城や砦を攻め破る時に我らの力を借りて使おうというだけだ。もし諸国がすべて滅びれば、必ず我らを生かしておかないだろう。だから先ごろ羊波奴がひどく憤って、モンゴルが東眞を攻める時に自分の手下を率いて元の陣へ行き、残っていた男女をみな殺し、ついに石城に入って自ら守った。モンゴルは癸巳と甲午の年の間にその城を攻めて彼を殺してしまった。それから後、常に我らの仲間を疑って久しいので、最後には必ず我らを殺すだろうと分かる。聞けば高麗は水の内側へ都を移したが、土地はとても広く、また他国から帰って降った者をよく遇して、それぞれに分け前の田地を与えて耕して食べさせるので、そこに住むのは楽しいという。この折に逃げ出してそちらへ身を寄せたいが、ただ抜け出すのが難しいので、しばらくその隙を待っている。」

来る人ごとに伝える言葉がこのようですから、その言葉を信じないわけにはいきません。なぜかといえば、こうです。わが国とあなたがたの国は、睦まじく通じて百年近く、少しの隔てもありませんでした。まして水の内側に入る前から、所々に投化場を設けてあなたがたのうち越えて来た者を住まわせ、それぞれに良い田を与えて耕し開かせ、安んじて暮らし楽しんで働けるようにしました。官人である者には仕官の道を許しました。今、水の内側でもそうですから、あなたがたがどうしてこれを聞いていないことがありましょうか。来て身を寄せたいという言葉は、まことにもっともです。

はたしてその言葉のとおりであれば、十人を連れて来る者には穀物いくらと金と絹いくらを与え、百人を連れて来る者には等級を加えて三倍を与え、順々に上がるのもこのようにします。褒美がこうであるだけでなく、みな良い土地に住まわせて安らかにしますから、どうか疑わないでください。どうしてあなたがただけでしょうか。諸国もまたそうです。