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三度目に謝する表三度謝表

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 273字 · 朗読 3分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻30 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

云云。囊奏緘詞。期寢已行之命。泥函降詔。繼宣曲諭之辭。凌兢失圖。殞越爲懼。伏念臣早捐俗累。粗襲祖禪。摘埴索塗。學未臻於窮理。刻舟求劍。性不解於徇時。固甘陸海之平沈。絶覬僧門之遠致。偶緣厚幸。屢玷大名。病樹逢春。優荷九天之澤。閑雲出岫。訖微一雨之功。合斂跡以退藏。猶強顔而冒處。敢圖異眷。更出常鈞。頻紆綸綍之言。將展几筵之敬。自惟缺爾。益用赧然。昔者。漢帝設杖於桓榮。燕王擁篲於鄒衍。玆乃崇儒而下士。宜其屈體以忘尊。如臣之愚。無德可取。豈敢以鶴骨枯槁之態。而坐受龍顔禮貌之儀。情所未安。理當固避。然念居君之土。受國之恩。苟執意以違天。卽容身之無地。勢不得已。雖從訓勅之嚴。老無能爲。曷副師資之重。但當益礪戒行。無怠熏修。仰憑千佛之慈。永祝一人之壽。云云。

云々。袋に入れて申し上げる言葉を封じ、すでに行われたご命令をお収めくださることを期しましたのに、泥で封じた函で詔を下され、続けて身をかがめて諭されるお言葉を述べられました。恐れ震えてどうすべきか分からず、倒れて死ぬかと恐れます。

伏して思いますに、臣は早くに世の煩いを捨てて、おおよそ祖師の禅を受け継ぎました。杖で地を探って道を求めるようで、学びは理を究めるに至らず、舟に刻みをつけて剣を探すようで、性は時に従うことに明るくありません。まことに陸と海に埋もれ沈むことを甘んじて受け、僧門で遠くまで至ることなど望みませんでした。

たまたま厚い幸いに寄って、幾度も大きな名を汚しました。病んだ木が春に遭うように、九天の恵みを寛やかに被りましたが、閑かな雲が山の洞から出るばかりで、ついに一筋の雨の功さえ乏しいのです。当然、跡を収めて退き隠れるべきなのに、なお厚かましく冒して留まりました。

どうして人並み外れたお目が、重ねて並みを越えて、しばしば詔のお言葉を身をかがめて下され、まさに脇息と席の敬いを述べようとされると思いましたでしょうか。自ら足りないことを思って、いっそう顔が赤らみます。

昔、漢の帝は桓榮に脇息と杖を与え、燕の王は鄒衍のために箒を抱えて道を掃きました。これはすなわち儒者を尊び身を低くしたのですから、当然、体をかがめて高さを忘れたのです。臣のように愚かで取るべき徳のない者が、どうしてあえて鶴の骨のようにやせ枯れた姿で、座ったまま竜顔の礼遇の儀式をお受けできましょうか。心に安んじられませんので、理として当然、固く避けるべきです。

けれども思いますに、君の土地に住み、国の恵みを受ける身ですから、まことに自分の意を押し通して天に背くなら、たちまち身の置き所がありません。形勢がやむを得ず、厳かなお言いつけに従いはしますが、老いて成しうることがありませんので、どうして師とされる重さに釣り合いましょうか。

ただ当然、戒行をいよいよ磨き、修行を怠らず、仰いで千の仏の慈悲に頼って、永く君のご寿命を祈りましょう。

夾注 1

中謝。

ここに中謝の言葉が入る。