いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 前集 巻32

節日を祝う使いが道中で皇帝の崩御を弔う文賀節日使行次。吊皇帝升遐。

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 60字 · 朗読 0.6分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻32 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

敍別已後。忽稽對境移文。伏聞大行皇帝奄棄天下。震悼顚踣。罔知所措。但以天車侍郞。已離館上道。未獲親吊。第深涕泗哀痛之至。謹修狀諮問。伏惟炤察。

お別れして以来、国境で向き合って文をお送りするのが思わず遅れました。伏してうかがいますに、大行皇帝が突然天下をお捨てになったとのこと、驚き悲しんで倒れ伏し、どうしてよいか分かりません。ただ車侍郎がすでに客館を離れて道に上られたので、みずから弔うことができず、ただ涙を流して痛み悲しむばかりです。謹んで文を修めてお伺いいたします。伏して願いますに、お察しください。

夾注 2

此狀當誥院述之。上命小臣立進呈。

この文は本来誥院が作るべきものであるが、主上が小臣に命じて、その場で作って差し上げさせた。

「車侍郎」は底本に天車侍郎とある。天は天子の使いを指す語と見て、姓が車氏の侍郎と読んだ。「天車侍郎」と読むと薦挙と音が重なる。― 訳者