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始興伯の佖(ひつ)を淮安公とする官誥始興伯佖爲淮安公 同前官誥

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 248字 · 朗読 2.5分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻34 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

云云。百王之制。尤崇盤石之宗。五等之封。莫峻桓圭之秩。惟國與家之所以爲固。非親且賢則無得以居。某官某。挺秀宗支。作蕃王室。禮議詳審而不失尺寸。言行端方而動中準繩。非特疑謀之可咨。亦堪大事之是託。氣豪膽足。雖雄入九軍必不疑。器碩才宏。使坐食萬戶猶或歉。尙淹伯爵。有愧朕心。今者憬彼戎胡。侵吾封境。狼貪之欲滋甚。虎噬之毒無厭。亟馳使介而難諭以和。須遣宗親而示加其厚。當此行者。捨爾誰歟。位不高則未足鎭衆心。權不重則無以稱大任。故授以上公而崇其資級。又中以大師而作予表儀。可特授云云。嗚戲。夷險一節。是爾所守也。此則已無疑焉。終始完名。在卿之愼也。庶幾益自謙耳。勉承玆訓。往服乃司。云云。

云々。

百王の制度では盤石のごとき宗室をいっそう尊び、五等の封爵では桓圭(かんけい)を執る位より高いものはない。ひとり国と家とがこれによって固まるのであるから、近しくかつ賢い者でなければその地位に居ることはできない。

某官某は王室の枝から抜きん出て生まれ、王室の垣となった。礼を議することは細やかで行き届き、一尺一寸も違えず、言葉と行いは端正で、動けば法度にかなう。疑わしい謀を諮るに足るばかりでなく、大事を託すにも堪える。気性は豪放で胆力は十分、九軍の中へ勇ましく踏み込ませても決して疑うことはなく、器は大きく才は広く、万戸の禄を座したまま食ませてもなお足りないほどである。それなのにいまだ伯爵にとどまっているのは、朕の心に恥ずかしい。

今、遠く彼の戎胡が我が国境を侵している。狼のごとく貪る欲はいよいよ甚だしく、虎のごとく噛みつく毒は飽きることを知らない。使者を急ぎ走らせても和をもって諭しがたいので、ぜひとも宗親を遣わして厚意を加え示さねばならない。この旅路を担う者は、そなたを措いて誰であろうか。位が高くなければ衆人の心を鎮めるに足らず、権が重くなければ大任にふさわしくあり得ない。それゆえ上公の爵を授けてその品階を高め、また太師の位に当てて我が模範とする。特に授けてよい。云々。

ああ、平らかなときも険しいときも変わらぬ節操はそなたの守るところであり、これはすでに疑うところがない。初めから終わりまで名を全うすることは卿の慎みにかかっているのだから、どうかいっそう自ら謙れ。努めてこの教えを承け、進んでそなたの職を果たせ。云々。