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鍾義禅師に捧げる祭文祭鍾義禪老文

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 338字 · 朗読 3.7分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 前集 巻37 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

月日。良醞令同正李某謹以茶菓之奠。祭于禪師義公之靈。惟靈佛隴之嗣。尤溪之宗。全德法器。旣豐而充。行修而峻。道盈而沖。餘事文章。龍獰虎雄。揮翰洒紙。風凄雨濛。坦然曠達。多可旁通。昔敦牂之紀歲兮。始傾蓋而從容。甑山之阿。往來憧憧。往來伊何。問道談空。問道伊何。是空假中。維是文句。爲我擊蒙。惟師之故。開我昏聾。至若竹窓夜雨。松院淸風。燈明圍棋。不覺日紅。不爾賦詩。交相磨礱。飮我以酒。沈醉百鍾。枕我以膝。睡息噴虹。脫略碎節。披豁心胸。同遊國淸。岸挾丹楓。竝轡甘露。綠水沖瀜。陟巘觴酌。啜醇吮醲。載哦載詠。其樂融融。嗚呼哀哉。人生聚散。易別難逢。一從睽拆。俱若轉蓬。我官于南。師去舊峯。師還洛師。從軍我東。出入違背。杜燕秋鴻。率然相遇。旋別悤悤舊歡不可再兮。奈聞此訃凶。水逝兮不復。雲去兮無蹤。法棟云折。學者安從。道境之一生死兮。予何爲此忡忡。師豈沒沒隨庸流兮。其所之兮兜率天宮。我如踵往一笑相同。煎臘芽兮是薦。姑表我之悾悾。

某月某日、良醞令同正の李某は、謹んで茶と菓子を供え物として調え、禅師の義公の霊前に祭りを捧げます。

明らかな霊は、仏隴の嗣であり尤渓の宗でした。徳を全うした法の器として、豊かに満ちておられました。行いは修まって峻しく、道は満ちていながら沖やかでした。余りの事とされた文章は、龍のように猛く虎のように雄々しくありました。筆を揮って紙に注げば、風は凄まじく雨は煙るようでした。坦やかで闊達、通ずるところが多くありました。

昔、午の年に、はじめて蓋を傾けてうちとけて交わりました。甑山の阿を行き来することが頻りでした。行き来して何をしたでしょう。道を問い空を談じました。道を問うて何であったでしょう。空と仮と中でした。この文句こそ、私の蒙を撃ち破りました。師のおかげで、私の昏く聾いた耳が開かれました。

竹の窓に夜の雨が降り、松の院に清い風が吹くときは、灯をともして碁を囲み、日が赤らむのも気づきませんでした。そうでなければ詩を賦して、互いに磨き合いました。私に酒を飲ませて百盃に深く酔わせ、膝を枕にさせて、眠る息が虹を噴きました。こまごまとした節を脱ぎ捨て、胸の内を開き広げました。

国清寺にともに遊んだときは、岸に丹い楓が挟まり、甘露寺に轡を並べたときは、緑の水が溶け合って広がっていました。嶺に登って杯を酌み、醇い酒を啜り濃い酒を吸い、歌い詠んで、その楽しみは融々としていました。

ああ、哀しいことです。人の生は聚まり散り、別れやすく逢いがたいものです。ひとたび離れてからは、二人とも転がる蓬のようでした。私は南で官に就き、師は旧い峯を去られました。師が都に還られたときは、私は軍に従って東にいました。出入りが行き違って、杜鵑と燕、秋の鴻のようでした。ふと行き会っても、すぐ忙しく別れました。

旧い歓びをふたたびすることができないのに、この凶い訃を聞いては、どうしましょう。水は逝いて還らず、雲は去って跡がありません。法の棟が折れましたので、学ぶ者は誰に従いましょう。

道の境では生と死は一つであるのに、私はどうしてこうも忡々とするのでしょう。師がどうして没々として庸い流れに随われましょう。行かれた先は兜率の天宮でしょう。私が後を踵いで行けば、ひとつ笑って相い同じくなりましょう。臘の茶の芽を煎じて薦め、しばらく私の悾々たる心を表します。