いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 後集 巻1
また歯が痛む又齒痛
東国李相国集(東国の李相国の文集) 後集 巻1 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。
人以食而生。食必以其齒。齒痛莫加飧。天殆使我死。剛折亦云經。老豁更堪恥。餘有幾箇存。浮動根無寄。今者又復痛。延及頭亦爾。水寒不可飮。湯亦不可試。糜粥候冷熱。然後僅能䑛。矧可齕肉爲。有肉空在杫。是實老所然。無身始迺已。
人は食べて生きるが 食べるには必ずその歯がなければならない 歯が痛んで飯をもう一口も取れないので 天はおそらく私を死なせようとしているのだろう 堅いものが折れるのは経ねばならぬことだとしても 老いてすっかり抜け落ちたのはいっそう恥ずかしい 残っているのは何本あろうか ぐらついて根の寄るところがない
今またもや痛んで 頭にまで及んでそうなっている 水は冷たくて飲めず 煮たものも試してみることができない 重湯や粥は冷たさ熱さを確かめた のちにやっと舐めることができる まして肉を噛めるだろうか 肉があっても俎の上に空しく置かれている これはまことに老いのせいなのだから 体がなくなってはじめて止むのだろう
夾注 1
經 — 「経ねばならぬこと」と読んだ。常なる理(常經)と見て「堅いものが折れるのは常の理だとしても」と読む道もある。― 訳者