いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 後集 巻2
また「休暇が百日に満ちて官が止んだのをみずから喜ぶ」詩に和する又和假滿百日停官自喜詩
東国李相国集(東国の李相国の文集) 後集 巻2 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。
老病支離壽七旬。快哉今幸乞殘身。腰間誤怯猶垂綬。頭上何妨大岸巾。無復喝呼喧里巷。有時饋問謝親姻。懸車相位眞難事。莫道蕭條退散人。
老いと病に引きずられて七十の齢を保ち 痛快だ、いま幸いに残るこの身の退官を願い出た 腰にはまだ印綬が垂れていて、いわれもなく怖く 頭には頭巾を高く傾けてかぶって、何の差し支えがあろう もう先払いの叫び声が町なかを騒がせることはなく ときおり届く見舞いに親戚へ礼を言う 宰相の位にいて車を懸けるのは、まことに難しいこと 退いて散人となったのを、ものさびしいなどと言ってくれるな