いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 後集 巻2

李学士が前の篇に和したのに次韻する次韻李學士見和前篇

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 2 · 漢字 112字 · 朗読 1.2分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 後集 巻2 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

身難自斷暫留連。共導朝廷孰爾牽。兩歲未停號訴殷。今朝始得退休便。好斟瓊綠閑消日。慵鍊金丹苦學仙。若遣曆中天許壽。各遺四十有餘年。

この身みずから断ちがたく、しばらく留まっていた ともに朝廷を導こうと、誰が君を引きとめたのか 二年のあいだ、切に訴えることをやめずにいて 今朝ようやく退き休む安らぎを得た 玉のような緑の酒を注いで閑かに日を送り 金丹を錬るのはものうく、仙を学ぶのに苦しみはしない もし暦の中で天が許した寿のとおりなら それぞれ四十年あまりが残っている

夾注 2

百全

百全

來詩云。蒙公分曆見新年。予以曆中一百二十年計之。兩人餘年。或四十九年或四十八年也。

贈られた詩に「公が分けてくださった暦のおかげで新しい年を見る」とあった。わたしが暦の中の百二十年で数えてみると、二人の残る年は、あるいは四十九年、あるいは四十八年である。

腰章自解首簪抽。觸境無非自在遊。馬猒雕鞍甘退伏。魚逃芳餌樂深游。要呼歌妾如樊素。更索詩僧似貫休。把酒尋春何處是。綠楊堤畔杏園頭。

腰の印章をみずから解き、頭の簪を抜けば 触れる境はどれも自在の遊びでないものはない 馬は飾りの鞍を厭うて、退いて伏すのを甘んじ 魚は香る餌を逃れて、深く泳ぐのを楽しむ 樊素のような歌う妾を呼びたくなり 貫休のような詩僧をまた求める 酒を提げて春を尋ねるなら、どこがよいか 緑の柳の堤のほとり、杏の園の入り口だ

夾注 1

公詩云。好蒭家釀趁春遊。

公の詩に「家で醸した酒をよく漉して春の遊びを追おう」とあった。