いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 後集 巻4

絶句の韻に次韻する次絶句韻

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 3 · 漢字 84字 · 朗読 0.9分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 後集 巻4 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

1第一首

長思入室近蘭馨。猶恐將塵汚鏡淸。未作一龍深託契。空將雙鯉屢傳情。

いつも室に入って蘭の香りに近づくことを思いながら なお塵で鏡のような清らかさを汚すのを恐れる 一匹の龍となって深く交わりを結ぶことはできず 空しく一対の鯉でたびたび情を伝える

夾注 1

三首

三首である。

2第二首

中華天子不能臣。遣作浮雲放浪身。折簡招君吾豈敢。可羈而致卽非麟。

中華の天子も臣とすることができず 浮き雲のようにさすらう身とさせた 手紙を送って君を招くことを、私がどうして敢えてしよう 綱をつけて連れて来られるなら、それは麟ではない

3第三首

詞人比興本於詩。何獨裁雲剪月爲。欲反正聲歸雅頌。兒曹蜩聒好相欺。

文人の比と興の法は詩に根を置いているので どうして雲を裁ち月を切ることばかりをしよう 正しい声を戻して雅と頌に帰ろうとするのに 子どもたちは蝉のように騒がしく、互いに欺くのを好む