いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 後集 巻7
庚子年九月十五日、モンゴルへ送る表状を手直ししながら作る庚子九月十五日。修蒙古所送表狀有作。
東国李相国集(東国の李相国の文集) 後集 巻7 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。
懸車殘老筆宜停。輒欲和通兩國情。文拙未宣天子意。不如閑坐度餘生。
車を懸けて退いた老いぼれは、筆を止めるのが当然なのに ふいに二つの国の情を通わせようとする 文が拙くて天子の意を述べきれないので のんびり座って余生を過ごすのに及ばない
夾注 1
有蓄意故云
含むところがあって、そう言った。