いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 後集 巻8

子どもたちが枳を手にして遊ぶのを見て作る見兒童弄枳有作

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 80字 · 朗読 0.8分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 後集 巻8 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

與橘同一宗。渡淮所化遷。其形雖具體。香臭迺不然。譬如人性善。地習移其全。中雖有素膚。酸甚啖未便。於橘堪爲奴。奴橘名尤愆。革性者小人。我不願見焉。柰何兒童輩。終日弄團圓。不唯弄之耳。齒嚼未遽捐。

橘と同じ一族でありながら 淮水を渡って変わってしまったものだ その形は備えているけれども 香りはそうではない たとえば人の性は善であるのに 土地の習わしがそれをすっかり移してしまうのと同じだ 中に白い果肉はあるけれども 酸すぎて食べるには向かない 橘にとっては奴となるに足るが 橘の奴という名さえ、なお過分だ 性を変える者は小人であり 私は見たくもない それをどうして子どもたちは 一日中、丸いものを手にして遊ぶのか 遊ぶだけではなく 歯で噛んでも、すぐには捨てない