いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 後集 巻8
名を避ける法を明らかにする詩辨諱詩
東国李相国集(東国の李相国の文集) 後集 巻8 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。
雖云父母名。二字不偏諱。言在不言徵。孔聖所曾示。世人惑於是。於二皆諱二。禮文炳丹靑。有目何不視。
たとえ父母の名であっても 二字を一字ずつ切り離して避けることはしない 母の名「徴在」の「在」を言うときに「徴」を言わなかったのは 孔子がかつてお示しになったところだ 世の人はこれに惑わされて 二字をいちいちすべて避ける 礼の文は丹青のように明らかなのに 目がありながらどうして見ないのか
夾注 1
徴在 — 孔子の母の名である。 ― 訳者