いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 後集 巻9
任相国が訪ねてくださったことに謝する謝任相國見訪
東国李相国集(東国の李相国の文集) 後集 巻9 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。
1序
昨蒙相國枉顧蓬門。以悤悤廻轡。未得從容攀話。不無遺恨。因得詩三首奉寄云。
昨日、相国が曲げて蓬の門をお訪ねくださいましたが、慌ただしく手綱を返されたため、ゆっくりお引き止めして語ることができず、名残惜しさがないわけではありませんでした。そこで詩三首を得て、謹んでお寄せします。
夾注 1
幷序
序を併せる
2第一首
從來宰相是天星。過我閑門分外榮。但恨怱怱廻玉轡。未容片刻話平生。
古来、宰相は天の星であり 私の閑かな門を過ぎてくださり、分に過ぎた栄えである ただ恨めしいのは、慌ただしく玉の手綱を返され わずかの間も生涯の話を交わせなかったことだ
3第二首
病中加又眼昏昏。燕服輕迎國相尊。顔巷雖窮猶有酒。廻車不許與開樽。
病のなかで目までかすんでいるのに 平服で軽々しく国の宰相をお迎えした 顔子の路地のように窮していても酒はあったのに 車を返され、ともに樽を開くことをお許しにならなかった
4第三首
先公門下玷門人。更荷恩私異等倫。二十九人皆鬼錄。願公憐我尙存身。
亡き父君(先公)の門下で門人の席を汚しましたが さらに私の恩を人並み以上に受けた 二十九人がみな鬼籍に入った 願わくは公よ、まだ身の残っている私を憐れんでください
夾注 1
先公別待我
任相国の父君が私を人並み以上に待遇された。