いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 後集 巻11

新たに序した詳定礼文の末に附ける跋新序詳定禮文跋尾

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 236字 · 朗読 2.3分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 後集 巻11 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

夫帝王之政。莫先於制禮。其沿革也損益也。宜一定之。以淑人心。以齊風俗矣。安可因循姑息。不卽立常典。使之紛然異同哉。本朝自有國來。其禮制之損益。隨代靡一。病之久矣。至仁廟朝。始勑平章事崔允儀等十七臣。集古今同異。商酌折中。成書五十卷。命之曰詳定禮文。流行於世。然後禮有所歸。而人知不惑矣。是書跨歷年祀。簡脫字缺。難於攷審。予先公迺令補緝。遂成二本。一付禮官。一藏于家。其志遠也。果於遷都之際。禮官遑遽。未得齎來。則幾若已廢。而有家藏一本得存焉。予然後益諳先志。且幸其不失。遂用鑄字。印成二十八本。分付諸司藏之。凡有司者。謹傳之勿替。毋負予用志之痛勤也。月日。某跋。

およそ帝王の政は、礼を制めることより先なるものはない。その沿い革めることと損い益すことを、まさに一たび定めて、これによって人の心を淑くし、これによって風俗を斉えるべきである。どうして因り循って姑息に過ごし、ただちに常の典を立てずに、紛々と互いに異なるままに置いておけようか。

我が朝が国を立てて以来、その礼制の損益は代ごとに一つでなく、これを病んで久しかった。仁廟の朝に至ってはじめて平章事の崔允儀ら十七人の臣に勅して、古今の同異を集め、商り酌んで折り中せ、書五十巻を成し、名づけて『詳定礼文』として世に流し行かせた。そうしてから礼に帰るところがあり、人は知って惑わなくなった。

この書は年月を跨ぎ歴て、簡が脱け字が缺けて、攷え審らかにするのが難しかった。亡き父君はそこで補い緝わせ、ついに二本を成して、一本は礼官に付け、一本は家に蔵めた。その志は遠かった。果たして都を遷すときに礼官が遑てて遽ぎ、持って来ることができなかったので、ほとんど廃れたのと変わらなかったが、家に蔵めた一本があって残ることができた。私はそれからいよいよ父君の志を諳り、またそれを失わなかったことを幸いとした。

ついに鋳た字を用いて二十八本を印り成し、諸々の司に分け付けて蔵めさせた。およそ司を預かる者は、謹んでこれを伝えて替えることなく、私が志を用いた痛ましいほどの勤めを負にするな。

某月某日、某が跋する。

夾注 1

代晉陽公行

晋陽公に代わって作った。