いにしえの文 › 東国李相国集(東国の李相国の文集) › 後集 巻11

造物者に問う問造物

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 365字 · 朗読 3.4分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 後集 巻11 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

予問造物者曰。夫天之生蒸人也。旣生之。隨而生五穀。故人得而食焉。隨而生桑麻。故人得而衣焉。則天若愛人而欲其生之也。何復隨之以含毒之物。大若熊虎豺貙。小若蚊蝱蚤蝨之類。害人斯甚。則天若憎人而欲其死之也。其憎愛之靡常。何也。造物曰。子之所問。人與物之生。皆定於冥兆。發於自然。天不自知。造物亦不知也。夫蒸人之生。夫固自生而已。天不使之生也。五穀桑麻之產。夫固自產也。天不使之產也。況復分別利毒。措置於其間哉。唯有道者。利之來也。受焉而勿苟喜。毒之至也。當焉而勿苟憚。遇物如虛。故物亦莫之害也。予又問曰。元氣肇判。上爲天下爲地。人在其中。曰三才。三才一揆。天上亦有斯毒乎。造物曰。予旣言有道者。物莫之害也。天旣不若有道者而有是也哉。予曰。苟如是。得道則其得至三天玉境乎。造物曰。可。予曰。吾已判然釋疑矣。但不知子言天不自知也。予亦不知也。且天則無爲。宜其不自知也。汝造物者。何得不知耶。曰。予以手造其物。汝見之乎。夫物自生自化耳。予何造哉。予何知哉。名予爲造物。吾又不知也。

私は造物者に問うた。

「およそ天が蒸しい民を生むにあたり、すでに生んでから、続いて五穀を生んだので人は得て食べ、続いて桑と麻を生んだので人は得て着ます。であれば天は人を愛して生かそうとしているようです。ところがどうして、さらに毒を含む物を続いて生み、大きくは熊や虎や豺や貙のようなもの、小さくは蚊や蝱や蚤や蝨のような類が人を害することがこれほど甚しいのですか。であれば天は人を憎んで死なせようとしているようでもあります。その憎むことと愛することが常ならぬのは、どうしてですか。」

造物者が言った。

「君が問うところ、人と物が生まれるのは、みな冥かな兆しに定まり、自然から発するものである。天も自ら知らず、造物者もまた知らない。およそ蒸しい民が生まれるのは、まことに自ら生まれるだけで、天が生ませたのではなく、五穀と桑と麻が産するのも、まことに自ら産するので、天が産ませたのではない。まして、さらに利と毒を分け別けて、そのあいだに措き置くだろうか。ただ道ある者は、利が来れば受けても苟しくも喜ばず、毒が至れば当たっても苟しくも憚らない。物に遇うことを虚ろのようにするので、物もまたその人を害することができない。」

私はまた問うた。

「元の気がはじめて判れて、上は天となり下は地となり、人がそのなかに在って三才と言います。三才が一つの揆であるなら、天の上にもまたこのような毒があるのですか。」

造物者が言った。

「私はすでに、道ある者は物がこれを害せないと言った。天がどうして道ある者にも及ばず、このようなものがあろうか。」

私は言った。

「本当にそうであるなら、道を得れば、あの三天の玉の境に至ることができるのですか。」

造物者が言った。「できる。」

私は言った。

「私はすでに判然と疑いが解けました。ただ、あなたが天は自ら知らないと言い、私もまた知らないと言ったことがわかりません。また天は無為であるから、自ら知らないのがふさわしいとしても、あなた造物者はどうして知らないのですか。」

言った。

「私が手でその物を造ったのを、君は見たのか。およそ物は自ら生まれ自ら化わるだけで、私が何を造り、私が何を知ろうか。私を造物者と名づけたことも、私はまた知らない。」

夾注 1

予厭蠅蚊之類。始發是題。

私は蠅や蚊の類を厭って、はじめてこの題を出した。