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水嵓寺の華厳結社の文水嵓寺華嚴結社文

東国李相国集(東国の李相国の文集) 東國李相國集 · 李奎報(イ・ギュボ) · 1241年(高麗・高宗28年)編 · 1251年に改め補う · 段落 1 · 漢字 501字 · 朗読 4.8分

東国李相国集(東国の李相国の文集) 後集 巻12 高麗の李奎報が生涯に作った文章を、子の李涵が1241年に編んで刻み、孫の李益培が1251年に改め補った文集。詩と賦、王に奉った表と箋、寺と塔に付けた記、碑銘と墓誌銘、手紙と序文、そしてモンゴルが攻め入った時に行き交った国書までが収められている。高句麗の始祖を歌った「東明王篇」が前集の巻3にあり、酒と琴と詩を友として自ら白雲居士と名のった人の一日一日が後集に残っている。書は、彼が目を病んで筆を置く最後の詩と、彼が死んだ後に他の人が作って付けた誄書・墓誌銘で閉じる。

大孤言。貧道早投華嚴。謬升選佛之場。尋念拘名。不可以如志。遂豁棄名利。飛錫四方。求所以修眞講學之所久矣。且凡號浮屠爲福田者。蓋種群生之福。如種穀於良田耳。髡不揆庸愚。有種福之心。無種福之所。棲棲遑遑。蓬轉萍泛而已。常以是自嘆。因與同志精修善友輩。寄居山庵。每講華嚴。修普賢行。而未幾希風踵來者無慮五十餘人。然未有常棲之所。率皆散居山谷。時或因施主之請。迺聚作冬夏安居而已。予謂同志者曰。如吾兩三人之所棲。雖八尺之房足矣。若與五十餘人同棲講學。則非寬敞寺宇。未宜矣。如何而可哉。適聞樞密相國朴公嘗出守固城時所創水嵓寺者。在州之艮隅。前臨澄溪。後負秀嶺。林藪幽邃。薪水贍足。宜釋子棲眞之地。相國迺以空曠陂澤可以爲田者納于寺。申納私臧獲十殳。納穀若干。期爲子母之法。永永不絶。吾等所集。莫過斯地。宜以此請於相國。然相國非素所謁知。似難於自進。髡於是包羞忍恥。徑造門屛。悉陳其意。公曰。予之創此寺也。志願不淺。然未遇眞人精侶之能主張香火者。今聞子之來扣。若合符契。此豈宿劫同願之致然耶。是日。奏聞於上。蒙制可。然後遂以吾道伴中名惠資者爲社主。是師亦曾於華嚴業門。登選佛場者也。今捨名遊方如此。因共約每歲作冬夏安居。於常時則初夜講經。中夜攝念坐禪。晝講章疏。商酌耽味。用爲常式。因以祝聖壽云云。雖我輩唱還鄕曲已後。欲道輩之衮衮不絶。窮未來際恒轉法輪者。惟諸佛多天鑑之。

大孤が言う。

貧道は早くに華厳に身を投じ、みだりに選仏の場に上った。しかし名に縛られることを思うと、志のとおりにはできなかった。ついに名と利をさっぱり捨て、杖を飛ばして四方を巡り、真を修め学を講ずる場所を求めて久しくなった。

およそ僧を福田と呼ぶのは、おおよそ衆生の福を種えることが、良い田に穀を種えるのと同じだからである。私は自分の拙さ愚かさを量らず、福を種える心はあったが、福を種える所がなかった。うろうろと落ち着かず、蓬のように転がり、浮草のように漂うばかりであった。常にこれをみずから嘆いていた。

そこで志を同じくして善を精しく修める友たちとともに、山の庵に寄り住んで、常に華厳を講じ、普賢の行を修めた。いくらも経たぬうちに、その風聞を慕って後を追って来た者が、おおよそ五十余人であった。しかし常に留まる所がなく、おおよそみな山の谷に散って住み、時に施主の請に従って集まり、冬と夏の安居を結ぶばかりであった。

私は志を同じくする者たちに言った。「我ら二、三人の留まる所であれば、八尺の部屋でも足りる。しかし五十余人とともに留まって講学するには、広く明るい寺の建物でなければかなわない。どうすればよいだろうか。」

ちょうど聞くところでは、枢密相国の朴公がかつて固城の守として出たときに建てた水嵓寺という寺があり、州の東北の隅にあって、前には清らかな渓を見下ろし、後ろには秀でた嶺を負い、林は奥深く、薪と水が十分で、僧が真を修めて留まるに足る地だという。相国はそこで、空いて広く田とすることのできる沢地を寺に納め、重ねて私に使っていた奴僕十人を納め、穀をいくらか納めて、元と利を回す法とし、永く永く絶えないことを期した。

我らが集まる所として、この地に勝る所はないので、当然このことを相国に請わなければならなかった。しかし相国はもとよりお目にかかって知る間柄ではないので、みずから進み出るのは難しいように思われた。私はそこで恥を包み、きまり悪さを忍んで、まっすぐにその門前に進み、思いをすべて申し上げた。

公は言った。「私がこの寺を建てたのは、志と願が浅くはなかった。しかし香の火を預かって導くに足る真の人、精しい友にまだ出会っていなかった。いまそなたが来て門を叩くと聞くと、割符を合わせたようだ。これがどうして過ぎた世の同じ願の致したところでないことがあろうか。」

この日、君に申し上げて許しを受けた。その後ついに、我らの道伴の中で惠資と名づける者を結社の主とした。この師もまたかつて華厳業の門から選仏場に上った人である。いま名を捨てて四方に遊ぶことが、このとおりである。

そこでともに約束して、年ごとに冬と夏の安居を結び、平生は宵の初めに経を講じ、夜中に思いを収めて坐禅し、昼には注釈を講じて汲み量り味わうことを、常に守る定めとした。そこで君の寿を祈った。云云。

我らの一群がこの世を去った後も、道を修める者たちが絶えず続いて、来る世が尽きるまで常に法の輪を転がしてくださることを願うので、ただ諸仏と多くの天がこれをご覧になるだろう。

夾注 3

文備

文は具わっている。

志願多。今不具書。

志と願は多いが、今はすべて記さない。

唱還鄕曲 — 「故郷に帰る歌をうたう」とは、僧が世を去ることをいう言葉である。 ― 訳者