故朝議大夫・司宰卿・右諫議大夫・宝文閣直学士・知制誥として紫金魚袋を賜った李君の墓誌銘故朝議大夫司宰卿右諫議大夫寶文閣直學士知制誥賜紫金魚袋李君墓誌銘
君諱世華。字居實。系出眞州。考諱某。檢校大將軍。母海陽郡夫人金氏。某官諱某之女也。君方妙齡。父雖將官。知其性穎悟必自達。早令從學。由是力學工屬文。越戊午春。赴成均試中之。至壬戌。擧春場擢丙第。貞廟朝。籍茶房。俄以公事免。後復籍內侍。會康廟崩。隨例見免。君不經外寄得祿仕。除見州監牧。丙子歲。遷補都兵馬錄事。丁丑秋。出爲定戎分道。爲元帥趙公所器。及見替。公表留幕下。委以事甚重之。公還朝力薦。除大盈置承。庚辰春。出爲白翎鎭將。理邑廉平。此郡舊無鄕校。君首創之。集吏人子弟敎以學。不數年。皆得成其才。至有應貢擧者。一郡慕之。屢騰狀褒美。秩滿。除神虎衛錄事。俄復兼都兵馬。因累歷內園署令祕書郞。甲申夏。遷中書注書。其冬。拜右正言知制誥。俄遷殿中侍御史。賜緋魚袋。未幾遷右司諫知制誥。丁亥春。出守南原府。明年。移守東州。又以理最聞。庚寅春。以侍御史金紫見詔。明年秋。出按慶尙州道。會蒙古大寇邊。五道廉按使皆領兵赴援。君促理兵。先諸道赴期。又持軍如宿將。聞者韙之。壬辰。除拜禮賓少卿御史雜端。是夏。國家因虜寇將遷都。以廣州迺中道巨鎭。朝論揀汰。遣公出刺。冬十一月。蒙古大兵來圍數十重。以百計攻之至數月。公日夜繕守備。隨機應變。出其意表。或俘殺甚衆。虜知不可。遂解圍去。州當南路要會。此城陷則餘可知已。微君幾殆矣。昔張巡之守睢陽也。雖義烈有足嘉者。猶未免身死城陷矣。君能守之以死。而廻之生地。卒得身保城完。全活萬人。則功烈可謂優矣。時皆以爲亟被寵見喚。而猶留三年者。朝議豈以公有守禦之能。而重易其人耶。乙未冬。以朝散大夫禮部侍郞右諫議大夫寶文閣直學士知制誥徵還。蓋賞功也。俄遷吏部侍郞。仍諫議。丁酉夏。又出鎭淸州山城。公旣閑於守禦。蒙兵竟不敢犯。冬。拜朝議大夫司宰卿。仍諫議。戊戌仲秋望。在家召子壻等。翫月飮酒。從容甚樂。方擧杯忽仆不起。至曙而逝。嗚呼異哉。何其大速也如此。公爲人偉儀表。資沈遂確實。旣以文鳴世。又吏幹虎略。皆所游刃。是可謂全才者。然未相而卒。玆非命歟。先娶禮賓少卿許京女。卒。再醮興威衛將軍薛某女。凡生男三人女六人。男曰守眞。南原府通判。曰守年。安慶府錄事。曰守深。未冠。女一適堂後官柳卿老。次適某官。次適某官某。三女尙幼。其葬也。子守年壻卿老等具行狀。求予爲銘。圖有以不朽者。予亦嘗與君有舊。理難可辭。遂銘之曰。
君の諱は世華、字は居実、系統は真州から出た。父の諱は某で検校大将軍であり、母は海陽郡夫人の金氏で、某官の某の娘である。
君がまだ幼い時に、父は武官であったが、その性が秀でて聡いので必ずみずから達するであろうと知って、早くから学に従わせた。これによって力を尽くして学び、文を作ることを善くした。戊午の年の春に成均試に進んで合格し、壬戌の年になって春の科挙に進み丙科に抜かれた。
貞廟の朝廷で茶房に籍を置いたが、やがて公務の事で免じられた。後にふたたび内侍院に籍を置いたが、ちょうど康廟が崩れられたので、例に従って免じられた。君は外の州を経ずに禄を受ける官を得て、見州の監牧に任ぜられた。丙子の年に都兵馬録事に移って補され、丁丑の年の秋に出て定戎の分道となったが、元帥の趙公が器と認めた。交替の時になると、公は書を上げて幕下に留め、事を委ねてたいへん重く用いた。公が朝廷に帰って力を尽くして薦めたので、大盈の承に任ぜられた。
庚辰の年の春に出て白翎鎮の鎮将となったが、州を治めることが清らかで公平であった。この郡には昔から郷校がなかったが、君がはじめてこれを建て、吏たちの子弟を集めて学を教えた。幾年も経たぬうちにみなその才を成して、科挙に応ずる者まで出たので、郡中がこれを慕って、幾度も文を上げて褒め称えた。
任期が満ちると神虎衛録事に任ぜられ、やがてまた都兵馬を兼ねた。ついで幾度も内園署令と秘書郎を経た。甲申の年の夏に中書注書に移り、その冬に右正言・知制誥に任ぜられ、やがて殿中侍御史に移って緋魚袋を賜った。いくらも経たぬうちに右司諫・知制誥に移った。丁亥の年の春に出て南原府を任され、翌年、東州に移って任されたが、また治めることが第一であると名が立った。
庚寅の年の春に、侍御史として金紫を帯び、詔で召された。翌年の秋に出て慶尚州道を按察した。ちょうど蒙古が大いに辺を侵したので、五道の廉按使がみな兵を率いて救援に赴いた。君は兵を急がせて整え、諸道より先に期日に着き、また兵を率いることが老練な将のようであったので、聞く者はこれを良しとした。
壬辰の年に礼賓少卿・御史雑端に任ぜられた。その夏、国家が虜の侵しのために都を移そうとしたが、広州はすなわち中の道の大きな鎮であるから、朝廷の議が人を選び抜いて、公を遣わして出て治めさせた。
冬の十一月に、蒙古の大軍が来て数十重に囲み、あらゆる計で幾月にもわたって攻めた。公は日夜守りの備えを整え、その時々の勢に従って応じ、敵の思いもよらぬ所に出たので、捕らえ殺した者がたいへん多かった。虜は叶わぬと知って、ついに囲みを解いて去った。
この州は南の路の要に当たるから、この城が落ちていれば、残りは知れたことである。君がいなければ危うかったであろう。昔、張巡が睢陽を守ったことは、義と烈が称えるに足るとはいえ、それでも身が死し城が落ちることを免れなかった。君は死をもって守りながら、これを生きる地に転じ、ついに身を保ち城を全うして万人をことごとく生かしたのであるから、功と烈は優れていると言える。当時の人はみなすぐに寵を受けて召し戻されるだろうと思ったが、それでも三年留まったのであるから、朝廷の議は、どうして公に守り防ぐ能があるとして、その人を替えることを重く見たのでないことがあろうか。
乙未の年の冬に、朝散大夫・礼部侍郎・右諫議大夫・宝文閣直学士・知制誥として召し返されたが、おおよそ功に賞したのである。やがて吏部侍郎に移り、諫議はそのままであった。丁酉の年の夏に、また出て清州の山城を守った。公はすでに守り防ぐことに慣れていたので、蒙古の兵はついに敢えて侵すことができなかった。冬に朝議大夫・司宰卿に任ぜられ、諫議はそのままであった。
戊戌の年の仲秋の望の日に、家で子や婿たちを呼んで月を賞でて酒を飲み、静かでたいへん楽しかった。まさに杯を挙げたところで忽然と倒れて起きられず、明け方になって世を去った。ああ、異なことである。どうしてそれほど速いのか。
公の人柄は、立ち居が堂々としており、質は沈み着いて堅く、真実であった。すでに文で世に鳴り、また官吏としての手腕と虎のような略が、みな刃を遊ばせるようであったから、これこそ全き才と言える。しかし宰相に至らずに亡くなったのであるから、これは命ではないか。
はじめ礼賓少卿の許京の娘に娶ったが亡くなり、ふたたび興威衛将軍の薛某の娘に娶った。合わせて男三人、女六人を生んだ。男の守真は南原府通判、守年は安慶府録事、守深はまだ冠していない。娘の一人は堂後官の柳卿老に嫁ぎ、次は某官に、次は某官の某に嫁ぎ、三人の娘はまだ幼い。
葬るときに、子の守年と婿の卿老たちが行状を揃えて、私に銘を作ることを求めたが、朽ちないようにしようと図ったのである。私もかつて君と旧い情があり、理からして辞しにくかった。ついに銘を作って言う。
夾注 1
幷序
序を併せる。
南紀曰廣。衝要是扼。帝所倚重。如護全國。時惟我公。出作方伯。方虜之圍。寄命不測。能以氣壓。談笑却敵。橫身濟難。顯烈如此。全活萬人。陰德若彼。物論僉騰。期以三事。計級而升。亦跬步耳。天不少借。奄若朝露。糾纏紛軋。孰詰其故。爛然功名。暉映千古。刻銘區區。大鵬一羽。
南を支える綱を広州といい 要の地をここで扼する 帝が寄りかかって重く見られたことは 国を丸ごと守るのと同じであった その時ただ我が公が 出て一方の長となった 虜が囲んだとき 命を測りがたい所に委ねた 気で圧して 談じ笑って敵を退けた 身を投げて難を済ったので 現れた功烈はこのようであった 万人をことごとく生かしたので ひそかに積んだ徳はあのようであった 人々の言がみな高まって 三公の位を期した 位階を数えて上ることなどは また半歩に過ぎなかった 天が少しも貸さず たちまち朝の露のようであった 絡まりもつれて乱れに軋むので 誰がその理由を問い詰めよう 燦然とした功と名は 千古に光を映すであろう 刻んだ銘は細々として 大鵬の一枚の羽に過ぎない