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離相寂滅分 第十四離相寂滅分第十四

金剛経(金剛の智慧を説く経典) 金剛般若波羅蜜經 · 鳩摩羅什 漢訳 · 402年(後秦・弘始4年) · 段落 5 · 漢字 672字 · 朗読 2.7分

金剛経(金剛の智慧を説く経典) 全一巻 「およそ形あるものはすべて虚妄である」 — とどまるところなく心を起こせと教える経典。昭明太子が分けた三十二分をそのまま従っている。六祖慧能はこの経の一句を聞いて発心したと伝える。

1須菩提が涙を流す

爾時,須菩提聞說是經,深解義趣,涕淚悲泣,而白佛言:「希有世尊!佛說如是甚深經典,我從昔來所得慧眼,未曾得聞如是之經。世尊!若復有人,得聞是經,信心清淨,則生實相,當知是人,成就第一希有功德。世尊!是實相者,則是非相,是故如來說名實相。世尊!我今得聞如是經典,信解受持,不足為難;若當來世,後五百歲,其有眾生,得聞是經,信解受持,是人則為第一希有。何以故?此人無我相、無人相、無眾生相、無壽者相。所以者何?我相,即是非相;人相、眾生相、壽者相,即是非相。何以故?離一切諸相,則名諸佛。」

そのとき須菩提は、この経の説かれるのを聞いて、その意味を深く悟り、涙を流して悲しみ泣きながら仏に申し上げた。

「まれに尊い世尊よ。仏がこれほど深い経典を説かれるとは、私が昔から得てきた智慧の眼をもってしても、いまだかつてこのような経を聞いたことがありません。

世尊よ、もしまた、ある人がこの経を聞いて信ずる心が清らかであれば、すなわち実相が起こります。まさに知られます、この人は第一のまれな功徳を成し遂げたのです。世尊よ、この実相というものは、すなわち相ではありません。それゆえ如来は実相と名づけて説かれるのです。

世尊よ、私が今このような経典を聞いて信じ悟り、受け持つことは難しいことではありません。けれども、もし来たるべき世の後の五百年に、ある衆生がこの経を聞いて信じ悟り、受け持つなら、この人こそ第一にまれな人です。なぜなら、この人には我相もなく、人相もなく、衆生相もなく、寿者相もないからです。どうしてそうなのかといえば、我相はすなわち相ではなく、人相・衆生相・寿者相もすなわち相ではないからで、それはなぜかといえば、あらゆる相を離れたものを、すなわち仏と名づけるからです。」

夾注 1

離諸形相,自得寂滅

もろもろの形相を離れれば、おのずから寂滅を得る。

2歌利王に身を切り裂かれたとき

佛告須菩提:「如是,如是!若復有人,得聞是經,不驚、不怖、不畏,當知是人,甚為希有。何以故?須菩提!如來說:第一波羅蜜,即非第一波羅蜜,是名第一波羅蜜。須菩提!忍辱波羅蜜,如來說非忍辱波羅蜜。是名忍辱波羅密。何以故?須菩提!如我昔為歌利王割截身體,我於爾時,無我相、無人相、無眾生相、無壽者相。何以故?我於往昔,節節支解時,若有我相、人相、眾生相、壽者相,應生瞋恨。須菩提!又念過去,於五百世,作忍辱仙人,於爾所世,無我相、無人相、無眾生相、無壽者相。是故須菩提!菩薩應離一切相,發阿耨多羅三藐三菩提心。不應住色生心,不應住聲、香、味、觸、法生心,應生無所住心。若心有住,則為非住。」

仏は須菩提に告げられた。「そのとおりだ、そのとおりだ。もしまた、ある人がこの経を聞いて驚かず、おびえず、恐れないなら、まさに知るがよい、この人はたいへんまれな人である。なぜか。須菩提よ、如来の説いた第一の波羅蜜は、すなわち第一の波羅蜜ではなく、それが第一の波羅蜜という名だからである。

須菩提よ、忍辱波羅蜜も如来は忍辱波羅蜜ではないと説き、それが忍辱波羅蜜という名である。なぜか。須菩提よ、私が昔、歌利王に身を切り裂かれたとき、そのとき私には我相もなく、人相もなく、衆生相もなく、寿者相もなかったからである。なぜか。過ぎた日に節々を切り離されたとき、もし我相・人相・衆生相・寿者相があったなら、まさに怒りと恨みを起こしたはずだからである。

須菩提よ、また思い返せば、過去の五百世に忍辱仙人であったときにも、その世々において我相もなく、人相もなく、衆生相もなく、寿者相もなかった。

それゆえ須菩提よ、菩薩はまさにあらゆる相を離れて、阿耨多羅三藐三菩提の心を起こすがよい。色に住して心を起こしてはならず、声・香・味・触・法に住して心を起こしてはならない。まさに住するところのない心を起こすのである。心に住するところがあれば、それはすなわち住ではないからである。」

3如来は真実を語る者

「是故佛說:菩薩心不應住色布施。須菩提!菩薩為利益一切眾生故,應如是布施。如來說:一切諸相,即是非相。又說:一切眾生,即非眾生。須菩提!如來是真語者、實語者、如語者、不誑語者、不異語者。」

「それゆえ仏は説く。菩薩は心を色に住して布施をしてはならない。須菩提よ、菩薩はあらゆる衆生を利益するために、まさにこのように布施しなければならない。如来は、あらゆるもろもろの相がすなわち相でないと説き、また、あらゆる衆生がすなわち衆生でないと説く。

須菩提よ、如来は真実を語る者、実のことを語る者、あるがままに語る者、偽りを語らない者、違えて語らない者である。」

4暗がりと日の光のたとえ

「須菩提!如來所得法,此法無實無虛。須菩提!若菩薩心住於法而行布施,如人入闇,則無所見;若菩薩心不住法而行布施,如人有目,日光明照,見種種色。」

「須菩提よ、如来が得た法、この法は実でもなく虚でもない。須菩提よ、菩薩が心を法に住して布施を行えば、人が暗がりに入って何も見えないのと同じである。菩薩が心を法に住せずに布施を行えば、人に眼があって日の光が明るく照らすとき、さまざまな色を見るのと同じである。」

5如来はことごとく知り、ことごとく見る

「須菩提!當來之世,若有善男子、善女人,能於此經,受持讀誦,則為如來,以佛智慧,悉知是人,悉見是人,皆得成就無量無邊功德。」

「須菩提よ、来たるべき世に、ある善男子・善女人がこの経を受け持ち、読み誦えることができれば、すなわち如来は仏の智慧によってこの人をことごとく知り、この人をことごとく見る。みな量りなく果てしない功徳を成し遂げるであろう。」