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滑州都統の王令公へ滑州都統王令公

桂苑筆耕集(桂の苑で筆を耕した集) 桂苑筆耕集 · 崔致遠(チェ・チウォン) · 886年(唐・中和6年 · 新羅・憲康王12年) · 段落 1 · 漢字 334字 · 朗読 1.3分

桂苑筆耕集(桂の苑で筆を耕した集) 巻7 別紙 崔致遠が唐の淮南節度使・高駢の幕府で四年のあいだ書いた文章のうちから自ら選び、二十巻に編んで886年に新羅の憲康王に奉った文集。皇帝に奉った表と状、黄巣を責めた檄文、諸々の節度使に送った手紙、部下に下した委曲と挙牒、道教の斎詞と仏教の斎文、祭文、成都の羅城と安南の絵に付けた記、そして高駢に奉った啓と詩まで366編が収められている。「臣は新羅の人です」で始まる最初の啓と、「天下の人がおまえを殺そうとするだけでなく、地の底の鬼神までもおまえを斬ることを議した」という討黄巣檄文がここにあり、最後の巻は十二歳で離れた故郷へ帰る船路で作った詩である。今に伝わる韓国人の文集のうち最も古いもので、1834年に洪奭周と徐有榘が活字で刷るにあたり「我が東方の文章の根本であり始まりである」と述べた。その二つの序文も併せて訳した。

1王鐸が都統となったことを賀して

伏見制書。伏承榮加內史之任。暫執元戎之權。往鎭雄藩。誓殲窮寇。佇復宮闕。則歸廟堂。九重之倚賴如山。八表之歡呼動地。而況令公志勤捧日。力贍補天。三秉台衡。兩分戎律。入則建蕭何之功業。出則振黃霸之恩威。此皆群議稱揚。不假拙辭贊詠。今者聖上以叛徒乘便。尙敢侜張。諸道徵師。互相逗撓。蠢彼之姦兇未弭。赫斯之憤怒良深。遂輟股肱。遠資心膂。蔿敖宰楚。設前茅後勁之規。管仲相齊。致九合一匡之譽。是以。榮轉西臺左相。請爲東道主人。儒武全材。古今罕遇。伏想近承睿略。嚴令諸侯。誠知白馬封疆幸而獲賴。必料蒼鵝群黨困不能飛。卽當立剗梟巢。去迎鑾駕。海晏而永興龍德。池淸而再睹鳳儀。凡在含靈。皆增係望。某靜思奮擊。動見悔尤。四隣多是異心。十道竟誰同力。今所以自賀者。得逢知己。親摠貞師。巧脣無所構之端。壯膽有可傾之處。唯冀遙稟大將軍之命。用勵驍雄。仰憑眞宰相之威。永除妖孼。末由陳賀。下情不任欣慰瞻攀虔祝云云。

制書を伏して見ますに、栄えある内史の任を加えられ、しばらく元戎の権を執られて、行って大きな藩を鎮め、窮まった賊を殲すことを誓い、宮闕の復されるのを待って廟堂にお帰りになると伏して承りました。九重が倚り賴ることは山のようであり、八表の歓び呼ぶ声は地を動かします。しかも令公は志が日を捧げることに勤め、力が天を補うに贍り、三たび台と衡を秉り、二たび戎の律を分けて、入っては蕭何の功と業を建て、出ては黄霸の恩と威を振るわれました。これはみな群れの議論が称え揚げるところですので、拙い辞で贊え詠うまでもありません。いま聖上は、叛いた徒が便に乗じてなおあえて侜り張り、諸道から徴した師が互いに逗まり撓むので、あの虫のような姦しく凶い者がまだ弭められず、赫として憤り怒られることがまことに深く、ついに股と肱を輟めて遠く心と膂に資られました。孫叔敖が楚の宰となって前茅後勁の規を設け、管仲が斉に相して九合一匡の誉れを致したのと同じです。ですから、栄えて西台の左相に転じ、東道の主人となることを請われましたので、儒と武を全うする材は古今に罕れにしか遇えません。ひそかに想いますに、近ごろ聖上の略を承って諸侯に厳しく令されたのですから、まことに白馬の封疆が幸いに賴りを得るであろうことを知り、必ず蒼い鵝の群れた党が困って飛べなくなるであろうと料ります。ただちに梟の巣を立ちどころに剗り、行って鑾の駕をお迎えし、海が晏らかになって長く龍の徳が興り、池が清くなってふたたび鳳の儀を覩ることになるのですから、およそ霊を含むものはみな望みを係けることを増します。某は静かに奮い撃つことを思いながら、動けば悔いと尤めを見ますので、四方の隣は多くが異なる心であり、十道のうち、ついに誰が力を同じくしましょう。いま自ら賀する理由は、己を知る人に逢い、その方が親しく貞しい師を摠べられるので、巧みな脣には構える端がなく、壮んな胆には傾けられる所があるからです。ただ遠く大将軍の命を稟けて驍く雄しい者を励まし、真の宰相の威に仰ぎ憑って、長く妖しい孼を除くことを冀います。賀を陳べる由もなく、下の情は喜び慰められ、仰ぎ攀じ、謹んで祝うことに堪えません。云々。

夾注 1

底本は「蔿敖」ですが、孫叔敖の別名ですので孫叔敖と記しました。― 訳者