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桂苑筆耕集(桂の苑で筆を耕した集) 桂苑筆耕集 · 崔致遠(チェ・チウォン) · 886年(唐・中和6年 · 新羅・憲康王12年) · 段落 1 · 漢字 349字 · 朗読 1.4分

桂苑筆耕集(桂の苑で筆を耕した集) 巻10 別紙 崔致遠が唐の淮南節度使・高駢の幕府で四年のあいだ書いた文章のうちから自ら選び、二十巻に編んで886年に新羅の憲康王に奉った文集。皇帝に奉った表と状、黄巣を責めた檄文、諸々の節度使に送った手紙、部下に下した委曲と挙牒、道教の斎詞と仏教の斎文、祭文、成都の羅城と安南の絵に付けた記、そして高駢に奉った啓と詩まで366編が収められている。「臣は新羅の人です」で始まる最初の啓と、「天下の人がおまえを殺そうとするだけでなく、地の底の鬼神までもおまえを斬ることを議した」という討黄巣檄文がここにあり、最後の巻は十二歳で離れた故郷へ帰る船路で作った詩である。今に伝わる韓国人の文集のうち最も古いもので、1834年に洪奭周と徐有榘が活字で刷るにあたり「我が東方の文章の根本であり始まりである」と述べた。その二つの序文も併せて訳した。

1爵位を辞する意をお助けください

某慙無術略。久竊榮寵。提漢法之重權。陟秦官之極品。莫申展効。何贖貪叨。況自寇盜奔侵。京都陷覆。久守咽喉之寄。不成毫髮之功。雖兵柄旣多。固難措手。而君恩未報。實切靦顔。況乃室怒潛興。隣讎競起。陸遜徒稱其佳吏。崔暹終憾於癡人。顯奏相誣。多言可畏。幸蒙軍容推心庇護。極力保持。雖遭貝錦之詞。免陷織羅之罪。祗合以戀軒思幄。策蹇磨鉛。畢命爲期。在公無倦。但緣攝生罕妙。從役久勤。齒髮旣衰。精神亦耗。少私寡欲。敢言君子者乎。多病愛閑。方謂古人是也。智力不可強進。寵章不可濫行。實覺妨賢。只宜求退。今者肅淸鳳闕。撲滅梟巢。櫜弓矢以銷兵。永除戎備。垂衣裳而致理。廣任賢才。如某者。寒灰罷燃。眢井誰顧。往歲之南征北伐。雖忝當仁。此時之尸祿素餐。逾慙非據。旣失行驅十乘。豈能臥護六軍。輒貢表章。懇辭爵位。伏惟軍容察以有犯無隱之義。難進易退之規。仰贊帝兪。俯從愚願。敢有脅肩諂笑。固無沒齒怨言。幸逢四海之昇平。願指一丘而養老。干黷淸德。兢惕實深。伏惟云云。

私は術略のないことが恥ずかしいのに、長く栄えある寵を盗み、漢の法の重い権を預かり、秦の官の極位に上って、効を広げることもできませんでしたので、何をもって貪り外れた身を償えましょうか。まして賊が駆け侵し、都が陥ちてからは、長く喉元のような大切な託しを守りながら、毛筋ほどの功も成せませんでした。兵権はすでに多く預かったとはいえ、まことに手を着けがたく、君恩に報いられず、実に顔が熱くなるほど恥ずかしい思いです。まして家内の怒りがひそかに起こり、隣の仇が競って立ち、陸遜はただ良い吏と称されるにとどまり、崔暹はついに愚かな人に恨みを抱いたように、公然と奏して互いに誣るのですから、多くの言葉はまことに恐るべきものです。幸いに軍容が心を推して庇い、力を尽くしてお守りくださったおかげで、貝錦のような作り言葉に遭いながらも、網を織るような罪に落ちることを免れました。ですから、ただ車を慕い帷幕を思い、足の遅い馬に鞭をあて鉛を磨いて、命の限りを期し、公務に倦むことなくあるべきです。ただ、養生の妙を欠き、務めに従って長く勤めたので、歯と髪はすでに衰え、精神も損なわれました。私を少なくし欲を寡なくすることを、どうして君子と言えましょうか。病が多く閑を愛するのは、まさに古人の言う通りです。智と力は無理に進めるものではなく、寵の詔は妄りに行うものではありませんから、まことに賢者の邪魔になると気づいて、ただ退くことを求めるのがふさわしいのです。今は鳳闕を粛清し、梟の巣を打ち滅ぼし、弓矢を袋に収めて兵を鋳潰し、長く軍備を収め、衣を垂れて治めを成し、広く賢い才にお任せになります。私のような者は、冷えた灰が燃えることをやめたようなもので、涸れた井戸を誰が顧みましょうか。去る年の南征北伐は、かたじけなくもその任に当たりましたが、この時の空しく禄を食む身は、いよいよ分不相応であることが恥ずかしいのです。すでに十乗を駆って行くことを失ったのですから、どうして臥したまま六軍を護れましょうか。そこで表章を捧げ、切に爵位を辞します。伏して思いますに、軍容は、犯すことはあっても隠すことはない義と、進みがたく退きやすい法度をもってお察しくださり、仰いで帝の「よし」とのお言葉を輔け、俯して愚かな願いに従ってください。敢えて肩をすくめて媚び笑うことはせず、まことに歯が抜けるまで怨む言葉はありません。幸いに四海の太平に出会ったのですから、一つの丘を指して老いを養いたいと願います。清らかなお徳を汚しますので、恐れ畏む思いがまことに深いです。伏して思いますに、云々。