いにしえの文 › 桂苑筆耕集(桂の苑で筆を耕した集) › 巻13 擧牒

墨勅によって散騎常侍を授ける牒行墨勑授散騎常侍

桂苑筆耕集(桂の苑で筆を耕した集) 桂苑筆耕集 · 崔致遠(チェ・チウォン) · 886年(唐・中和6年 · 新羅・憲康王12年) · 段落 1 · 漢字 227字 · 朗読 0.9分

桂苑筆耕集(桂の苑で筆を耕した集) 巻13 擧牒 崔致遠が唐の淮南節度使・高駢の幕府で四年のあいだ書いた文章のうちから自ら選び、二十巻に編んで886年に新羅の憲康王に奉った文集。皇帝に奉った表と状、黄巣を責めた檄文、諸々の節度使に送った手紙、部下に下した委曲と挙牒、道教の斎詞と仏教の斎文、祭文、成都の羅城と安南の絵に付けた記、そして高駢に奉った啓と詩まで366編が収められている。「臣は新羅の人です」で始まる最初の啓と、「天下の人がおまえを殺そうとするだけでなく、地の底の鬼神までもおまえを斬ることを議した」という討黄巣檄文がここにあり、最後の巻は十二歳で離れた故郷へ帰る船路で作った詩である。今に伝わる韓国人の文集のうち最も古いもので、1834年に洪奭周と徐有榘が活字で刷るにあたり「我が東方の文章の根本であり始まりである」と述べた。その二つの序文も併せて訳した。

1詔に準じて検校右散騎常侍を授ける

勑淮南節度鹽鐵轉運等使。東面都統兼指揮京西京北神策諸道節度兵馬制置等使牒。某官乞右可檢校右散騎常侍餘如故。如將軍須言員外置同正員牒。准今年二月九日詔。應諸州有功刺史及大將軍等如要勸奬者。從監察御史至常侍。便可墨勑授訖。分析聞奏者。大君降命。元帥從權。但云能立勤勞。特許先申奬勸。漢祖則手無刓印。不阻論功。武侯則心若懸衡。必能擧職。用示軍中之賞。式資闕下之恩。前件官夙蘊壯圖。久從戎事。將救焚沈之患。固憑擒縱之能。桓榮祖之馳名。不唯馬矟。周盤龍之受爵。允稱貂冠。事須准詔。授檢校右散騎常侍。仍具申奏。竝牒知者。故牒云云。

勅。淮南節度・塩鉄転運等使、東面都統兼指揮京西京北神策諸道節度兵馬制置等使が牒する。某官は検校右散騎常侍を乞い、その他は元のままとすることを請う。将軍であれば、必ず員外置同正員と記して牒する。本年二月九日の詔に準ずると、「諸州に功のある刺史および大将軍などで、励まし褒めるべき者があれば、監察御史から常侍までは、そのまま墨勅によって授け終え、分析して奏せ」とあった。大君が命を降し、元帥が権道に従って、ただ勤めと労を立てることができれば、特に先に励ましと褒めを施すことをお許しになった。漢の高祖は印を惜しんで擦り減らすようなことをせず、功を論ずることを妨げなかった。武侯は心が衡を懸けたように公平で、必ず職を挙げることができた。それによって軍中の賞を示し、宮闕のもとの恩を支えとする。右の官は、早くから壮んな計を蓄え、長く軍の事に従って、焼かれ沈む患いを救おうとしているのだから、まことに擒え放つ才に頼る。桓栄祖が名を馳せたのは馬と槊だけによるのではなく、周盤竜が爵を受けたのは、まことに貂の冠にふさわしかった。事は必ず詔に準じて、検校右散騎常侍を授け、さらに具して奏し、あわせて牒して知らせる。それゆえ牒する。云々。