いにしえの文 › 桂苑筆耕集(桂の苑で筆を耕した集) › 巻19 雜書

寿州の張常侍に送る書與壽州張常侍書

桂苑筆耕集(桂の苑で筆を耕した集) 桂苑筆耕集 · 崔致遠(チェ・チウォン) · 886年(唐・中和6年 · 新羅・憲康王12年) · 段落 1 · 漢字 183字 · 朗読 0.7分

桂苑筆耕集(桂の苑で筆を耕した集) 巻19 雜書 崔致遠が唐の淮南節度使・高駢の幕府で四年のあいだ書いた文章のうちから自ら選び、二十巻に編んで886年に新羅の憲康王に奉った文集。皇帝に奉った表と状、黄巣を責めた檄文、諸々の節度使に送った手紙、部下に下した委曲と挙牒、道教の斎詞と仏教の斎文、祭文、成都の羅城と安南の絵に付けた記、そして高駢に奉った啓と詩まで366編が収められている。「臣は新羅の人です」で始まる最初の啓と、「天下の人がおまえを殺そうとするだけでなく、地の底の鬼神までもおまえを斬ることを議した」という討黄巣檄文がここにあり、最後の巻は十二歳で離れた故郷へ帰る船路で作った詩である。今に伝わる韓国人の文集のうち最も古いもので、1834年に洪奭周と徐有榘が活字で刷るにあたり「我が東方の文章の根本であり始まりである」と述べた。その二つの序文も併せて訳した。

1寿州の人が永く寿の域に居ることになった

當今聖天子在上。賢丞相在下。然而宿德令望而推者。唯我上公曁滑臺中令兩地而已。初常侍靜芟前弊。權握使符。我上公以理狀聞。請爲眞守。帝惟曰兪。後常侍撫安郡俗。振肅兵威。大元帥以雄才薦。請貳前驅帝亦惟曰兪。是得弄印分榮。剖符行化。踰月報政。盡活疲甿。實謂壽之人。永居壽域矣。則乃常侍遇賢丞相之知。入聖天子之用。乃武乃文。多才多藝。固以播在四海。某豈敢一二而談詠也。今所禱願者。碧幢紅旆。高引前途。相幕將壇。別張勝地。謂予不信。神之聽之。

いま聖なる天子が上におられ、賢い丞相が下におられますが、宿れる徳と令き望みで推される者は、ただわが上公と滑台の中令の二所だけです。はじめ常侍が、静かに前の弊えを芟って、仮に使の符を握られると、わが上公が理めた状を聞して、真の守とすることを請い、帝は「兪」と言われました。後に常侍が、郡の俗を撫で安んじ、兵の威を振るい肅されると、大元帥が雄々しい才だと薦めて、前駆の副とすることを請い、帝もまた「兪」と言われました。そこで印を弄んで栄えを分け、符を剖いて化を行い、月を踰えて政を報い、疲れた民をことごとく活かされたのですから、まことに寿の人が永く寿の域に居ることになったと言うべきです。とすれば、常侍が賢い丞相の知を遇い、聖なる天子の用に入って、武であり文であり、才が多く藝が多いことは、まことに四海に播かれているのですから、某がどうして一つ二つと談じ詠うことができましょう。いま禱り願うところは、碧の幢と紅の旆が、前の途を高く引き、相の幕と将の壇が、別に勝れた地を張ることです。私を信じないと言われるなら、神がこれを聴かれるでしょう。