新羅
1金城と十七の官等
新羅國,本弁韓之苗裔也。其國在漢時樂浪之地,東及南方俱限大海,西接百濟,北鄰高麗。東西千里,南北二千里。有城邑村落。王之所居曰金城,周七八里。衛兵三千人,設獅子隊。文武官凡有十七等。其王金真平,隋文帝時授上開府、樂浪郡公、新羅王。武德四年,遣使朝貢。高祖親勞問之,遣通直散騎侍郎庾文素往使焉,賜以璽書及畫屏風、錦彩三百段,自此朝貢不絕。其風俗、刑法、衣服,與高麗、百濟略同,而朝服尚白。好祭山神。其食器作柳杯,亦以銅及瓦。國人多金、樸兩姓,異姓不爲婚。重元日,相慶賀燕饗,每以其日拜日月神。又重八月十五日,設樂飲宴,賚群臣,射其庭。婦人發繞頭,以彩及珠爲飾,發甚長美。
新羅国はもともと弁韓の末裔である。その国は漢の時代の楽浪の地にあり、東と南はいずれも大海で限られ、西は百済に接し、北は高麗と隣り合う。東西は千里、南北は二千里である。城や邑や村がある。王の住む所を金城といい、周りは七、八里である。衛兵は三千人で、獅子隊を置いている。文武の官はすべて十七等ある。王の金真平は、隋の文帝の時に上開府・楽浪郡公・新羅王を授けられた。
武徳四年、使いを遣わして朝貢した。高祖は自らねぎらって尋ね、通直散騎侍郎の庾文素を使いとして遣わし、璽書と絵の屏風、彩りの絹三百段を下賜した。これより朝貢は絶えなかった。風俗・刑法・衣服は高麗や百済とおおむね同じだが、朝服は白を尊ぶ。山の神を祀ることを好む。食器には柳の杯を作り、銅や土のものも使う。国の人には金・朴の二つの姓が多く、姓の違う者とは婚姻しない。元日を重んじて互いに祝い、宴を開き、その日ごとに日と月の神を拝む。また八月十五日を重んじて、楽を奏して宴を開き、群臣に褒美を与え、その庭で弓を射る。女は髪を頭に巻きつけ、彩りの絹と珠で飾る。髪はたいそう長く美しい。
2恨みの始まり
高祖既聞海東三國舊結怨隙,遞相攻伐,以其俱爲蕃附,務在和睦,乃問其使爲怨所由。對曰:「先是百濟往伐高麗,詣新羅請救,新羅發兵大破百濟國,因此爲怨,每相攻伐。新羅得百濟王,殺之,怨由此始。」七年,遣使冊拜金真平爲柱國,封樂浪郡王、新羅王。
高祖は、海東の三国が長く恨みを結んで代わる代わる攻め合っていると聞き、いずれも蕃として従っているので、睦み合わせることに努めようと、その使いに恨みのわけを尋ねた。使いは答えた。「さきに百済が高麗を討ちに行くにあたり、新羅に救いを求めてきました。新羅が兵を出して百済国を大いに破り、このことで恨みとなって、いつも互いに攻め合っております。新羅が百済王を捕らえて殺したので、恨みはここから始まりました。」七年、使いを遣わして金真平を柱国に冊し、楽浪郡王・新羅王に封じた。
3女の楽人を帰す
貞觀五年,遣使獻女樂二人,皆鬒發美色。太宗謂侍臣曰:「朕聞聲色之娛,不如好德。且山川阻遠,懷土可知。近日林邑獻白鸚鵡,尚解思鄉,訴請還國。鳥猶如此,況人情乎!朕湣其遠來,必思親戚,宜付使者,聽遣還家。」
貞観五年、使いを遣わして女の楽人二人を献じたが、いずれも髪が豊かで美しかった。太宗は側近の臣に言った。「朕が聞くに、音や色の楽しみは徳を好むことに及ばない。また山や川は隔たって遠いから、故郷を思うであろうことは察せられる。先ごろ林邑が白い鸚鵡を献じたが、それでさえ故郷を思うことを知って、国へ帰してほしいと訴えた。鳥でさえこうである。まして人の情においてはなおさらだ。朕は遠くから来たのを憐れむ。必ず親族を思っているであろうから、使者に付けて家に帰らせるがよい。」
4善徳女王と救いの求め
是歲,真平卒,無子,立其女善德爲王,宗室大臣乙祭總知國政。詔贈真平左光祿大夫,賻物二百段。九年,遣使持節冊命善德柱國,封樂浪郡王、新羅王。十七年,遣使上言:「高麗、百濟,累相攻襲,亡失數十城,兩國連兵,意在滅臣社稷。謹遣陪臣,歸命大國,乞偏師救助。」太宗遣相里玄獎齎璽書賜高麗曰:「新羅委命國家,不闕朝獻。爾與百濟,宜即戢兵。若更攻之,明年當出師擊爾國矣!」太宗將親伐高麗,詔新羅纂集士馬,應接大軍。新羅遣大臣領兵五萬人,入高麗南界,攻水口城,降之。
この年、真平が亡くなり、子がなかったので、その娘の善徳を立てて王とし、宗室の大臣である乙祭が国政を取り仕切った。詔によって真平に左光禄大夫を追贈し、香典の品二百段を贈った。九年、節を持たせた使いを遣わして善徳を柱国に冊命し、楽浪郡王・新羅王に封じた。十七年、使いを遣わして申し上げた。「高麗と百済がたびたび攻め襲い、数十の城を失いました。二国は兵を連ね、臣の社稷を滅ぼすつもりでおります。謹んで陪臣を遣わし、大国に命をお預けします。どうか一隊の軍でも助けにお出しください。」太宗は相里玄奨に璽書を持たせて高麗に下した。「新羅は国家に命を預け、朝廷への献上を欠かさない。お前と百済は、ただちに兵を収めよ。もしさらに攻めるなら、来年は軍を出してお前の国を討つであろう。」太宗が自ら高麗を討とうとしたとき、詔によって新羅に兵と馬を集めさせ、大軍に応じさせた。新羅は大臣を遣わして兵五万を率い、高麗の南の境に入って水口城を攻め、これを降した。
5真徳女王
二十一年,善德卒,贈光祿大夫,余官封並如故。因立其妹真德爲王,加授柱國,封樂浪郡王。
二十一年、善徳が亡くなり、光禄大夫を追贈し、ほかの官と封はみなもとのままとした。続いてその妹の真徳を立てて王とし、柱国を加えて授け、楽浪郡王に封じた。
6金春秋の入朝
二十二年,真德遣其弟國相、伊贊子金春秋及其子文正來朝。詔授春秋爲特進,文正爲左武衛將軍。春秋請詣國學觀釋奠及講論,太宗因賜以所制《溫湯》及《晉祠碑》並新撰《晉書》。將歸國,令三品以上宴餞之,優禮甚稱。
二十二年、真徳はその弟で国相・伊贊干の金春秋と、その子の文正を遣わして朝廷に参らせた。詔によって春秋に特進を、文正に左武衛将軍を授けた。春秋が国学に出向いて釈奠と講論を見たいと願ったので、太宗は自ら作った温湯碑・晋祠碑と、新たに編んだ晋書を下賜した。国へ帰るとき、三品以上の者に命じて宴を開いて見送らせ、その礼遇はたいそう手厚かった。
7太平頌
永徽元年,真德大破百濟之衆,遣其弟法敏以聞。真德乃織錦作五言《太平頌》以獻之,其詞曰:「大唐開洪業,巍巍皇猷昌。止戈戎衣定,修文繼百王。統天崇雨施,理物體含章。深仁偕日月,撫運邁陶唐。幡旗既赫赫,鉦鼓何鍠鍠。外夷違命者,翦覆被天殃。淳風凝幽顯,遐邇競呈祥。四時和玉燭,七曜巡萬方。維嶽降宰輔,維帝任忠良。五三成一德,昭我唐家光。」帝嘉之,拜法敏爲太府卿。
永徽元年、真徳は百済の軍を大いに破り、その弟の法敏を遣わして報告させた。真徳はそこで錦を織り、五言の「太平頌」を作って献じた。その詞は次のとおりである。「大唐は大いなる業を開き、高く聳える皇帝の計らいは栄える。戦いをやめ、いくさ衣で天下を定め、文を修めて百王を継いだ。天を統べて雨の恵みを尊び、万物を治めて内に秘めた輝きを体とする。深い仁は日や月と並び、時の運を導くことは陶唐を越える。旗はあのように輝き、鉦と鼓はなんと高らかに鳴ることか。外の夷で命に背く者は、断たれ覆されて天の災いを受ける。素直な風は幽かな所にも明らかな所にも凝り、遠くも近くも競って瑞祥を差し出す。四季は玉の灯のように和らぎ、七つの星は万方を巡る。山岳の気は宰相を降し、帝は忠良の臣を用いる。三皇五帝の徳が一つとなり、我が唐の家の光を照らす。」帝はこれを褒め、法敏を太府卿に任じた。
8百済を平らげる
三年,真德卒,爲舉哀。詔以春秋嗣,立爲新羅王。加授開府儀同三司,封樂浪郡王。六年,百濟與高麗、靺鞨率兵侵其北界,攻陷三十餘城,春秋遣使上表求救。顯慶五年,命左武衛大將軍蘇定方爲熊津道大總管,統水陸十萬。仍令春秋爲嵎夷道行軍總管,與定方討平百濟,俘其王扶餘義慈,獻于闕下。自是新羅漸有高麗、百濟之地。其界益大,西至於海。
三年、真徳が亡くなり、哀悼の礼を行った。詔によって春秋が後を継ぎ、新羅王に立った。開府儀同三司を加えて授け、楽浪郡王に封じた。六年、百済が高麗・靺鞨とともに兵を率いてその北の境を侵し、三十余りの城を攻め落としたので、春秋は使いを遣わして上表し救いを求めた。顕慶五年、左武衛大将軍の蘇定方に命じて熊津道大総管とし、水陸十万を統べさせた。あわせて春秋を嵎夷道行軍総管とし、定方とともに百済を討ち平らげ、その王の扶余義慈を捕らえて宮門の下に献じた。これより新羅は次第に高麗・百済の地を得て、その境はいよいよ広がり、西は海に至った。
9鶏林州都督
龍朔元年,春秋卒,詔其子太府卿法敏嗣位,爲開府儀同三司、上柱國、樂浪郡王、新羅王。三年,詔以其國爲雞林州都督府,授法敏爲雞林州都督。法敏以開耀元年卒,其子政明嗣位。垂拱二年,政明遣使來朝,因上表請唐禮一部並雜文章,則天令所司寫《吉凶要禮》,並于《文館詞林》采其詞涉規誡者,勒成五十卷以賜之。
龍朔元年、春秋が亡くなり、詔によってその子の太府卿の法敏が位を継ぎ、開府儀同三司・上柱国・楽浪郡王・新羅王となった。三年、詔によってその国を鶏林州都督府とし、法敏に鶏林州都督を授けた。法敏は開耀元年に亡くなり、その子の政明が位を継いだ。垂拱二年、政明は使いを遣わして朝廷に参り、あわせて上表して唐礼一揃いと種々の文章を願った。則天は担当の役所に命じて「吉凶要礼」を写させ、また「文館詞林」の中から戒めに関わる文を選び、五十巻に編んで下賜した。
夾注 1
政明は神文王である。 ― 訳者
10孝昭王と聖徳王
天授三年,政明卒,則天爲之舉哀,遣使弔祭,冊立其子理洪爲新羅王。仍令襲父輔國大將軍,行豹韜衛大將軍、雞林州都督。理洪以長安二年卒。則天爲之舉哀,輟朝二日。遣立其弟興光爲新羅王,仍襲兄將軍、都督之號。興光本名與太宗同,先天中則天改焉。
天授三年、政明が亡くなり、則天は哀悼の礼を行い、使いを遣わして弔い祭らせ、その子の理洪を新羅王に冊立した。あわせて父の輔国大将軍を継がせ、行豹韜衛大将軍・鶏林州都督とした。理洪は長安二年に亡くなった。則天は哀悼の礼を行い、二日朝廷を休んだ。使いを遣わしてその弟の興光を新羅王に立て、兄の将軍・都督の称号を継がせた。興光の本の名は太宗と同じであったので、先天のころに則天が改めたのである。
夾注 2
理洪は孝昭王である。 ― 訳者
興光は聖徳王である。 ― 訳者
11渤海を討たせる
開元十六年,遣使來獻方物,又上表請令人就中國學問經教,上許之。二十一年,渤海靺鞨越海入寇登州。時興光族人金思蘭先因入朝留京師,拜爲太僕員外卿,至是遣歸國發兵以討靺鞨。仍加授興光爲開府儀同三司、甯海軍使。
開元十六年、使いを遣わして土地の産物を献じ、また上表して、人を中国に遣わして経典の教えを学ばせたいと願ったので、帝はこれを許した。二十一年、渤海靺鞨が海を越えて登州に攻め入った。そのとき興光の一族の金思蘭が、先に入朝して都に留まり、太僕員外卿を授けられていたが、ここで国へ帰らせて兵を出し、靺鞨を討たせた。あわせて興光に開府儀同三司・寧海軍使を加えて授けた。
12君子の国
二十五年,興光卒,詔贈太子太保。仍遣左贊善大夫邢璹攝鴻臚少卿,往新羅弔祭,並冊立其子承慶襲父開府儀同三司、新羅王。璹將進發,上制詩序,太子以下及百僚鹹賦詩以送之。上謂璹曰:「新羅號爲君子之國,頗知書記,有類中華。以卿學術,善與講論,故選使充此。到彼宜闡揚經典,使知大國儒教之盛」。又聞其人多善奕棋,因令善棋人率府兵曹楊季鷹爲璹之副。璹等至彼,大爲蕃人所敬。其國棋者皆在季鷹之下,於是厚賂璹等金寶及藥物等。
二十五年、興光が亡くなり、詔によって太子太保を追贈した。続いて左賛善大夫の邢璹に鴻臚少卿を兼ねさせ、新羅に行って弔い祭らせ、あわせてその子の承慶を冊立して、父の開府儀同三司・新羅王を継がせた。璹が出発しようとするとき、帝は詩の序を作り、太子以下、百官がみな詩を作って見送った。帝は璹に言った。「新羅は君子の国と呼ばれ、書物をよく知っていて、中華に似たところがある。卿の学問なら講論をよくするであろうから、選んでこの使いに充てる。かの地に着いたら経典を広く説き明かし、大国の儒教の盛んなことを知らせよ。」また、その国の人が碁を善くすると聞いて、碁の上手な率府兵曹の楊季鷹を璹の副使とした。璹らがかの地に着くと、蕃の人々に大いに敬われた。その国の碁打ちはみな季鷹に及ばなかったので、璹らに金銀の宝や薬の品などを厚く贈った。
夾注 1
承慶は孝成王である。 ― 訳者
13景徳王
天寶二年,承慶卒,詔遣贊善大夫魏曜往弔祭之。冊立其弟憲英爲新羅王,並襲其兄官爵。
天宝二年、承慶が亡くなり、詔によって賛善大夫の魏曜を遣わして弔い祭らせた。その弟の憲英を新羅王に冊立し、あわせて兄の官爵を継がせた。
夾注 1
憲英は景徳王である。 ― 訳者
14恵恭王
大曆二年,憲英卒,國人立其子乾運爲王,仍遣其大臣金隱居奉表入朝,貢方物,請加冊命。三年,上遣倉部郎中、兼御史中丞、賜紫金魚袋歸崇敬持節齎冊書往吊冊之。以乾運爲開府儀同三司、新羅王、仍冊乾運母爲太妃。七年,遣使金標石來賀正,授衛尉員外少卿,放還。八年,遣使來朝,並獻金、銀、牛黃、魚牙納朝霞紬等。九年至十二年,比歲遣使來朝,或一歲再至。
大暦二年、憲英が亡くなり、国の人々はその子の乾運を立てて王とし、あわせてその大臣の金隠居を遣わして上表して入朝させ、土地の産物を献じ、冊命を加えてほしいと願った。三年、帝は倉部郎中・兼御史中丞で紫金魚袋を賜った帰崇敬を遣わし、節を持たせて冊書を携えて行かせ、弔い、冊封させた。乾運を開府儀同三司・新羅王とし、あわせて乾運の母を太妃に冊した。七年、使いの金標石を遣わして年始の賀を述べさせたので、衛尉員外少卿を授けて帰らせた。八年、使いを遣わして朝廷に参り、金・銀・牛黄・魚牙紬・朝霞紬などを献じた。九年から十二年まで、毎年使いが来て朝廷に参り、一年に二度来ることもあった。
夾注 1
乾運は恵恭王である。 ― 訳者
15宣徳王と元聖王
建中四年,乾運卒,無子,國人立其上相金良相爲王。貞元元年,授良相檢校太尉、都督雞林州刺史、甯海軍使、新羅王。仍令戶部郎中蓋塤持節冊命。其年,良相卒,立上相敬信爲王,令襲其官爵。敬信即從兄弟也。
建中四年、乾運が亡くなり、子がなかったので、国の人々はその上相の金良相を立てて王とした。貞元元年、良相に検校太尉・都督鶏林州刺史・寧海軍使・新羅王を授け、戸部郎中の蓋塤に節を持たせて冊命させた。その年、良相が亡くなり、上相の敬信を立てて王とし、その官爵を継がせた。敬信はつまり従兄弟である。
夾注 2
金良相は宣徳王である。 ― 訳者
敬信は元聖王である。 ― 訳者
16昭聖王
十四年,敬信卒,其子先敬信亡,國人立敬信嫡孫俊邕爲王。
十四年、敬信が亡くなったが、その子は敬信より先に亡くなっていたので、国の人々は敬信の嫡孫の俊邕を立てて王とした。
夾注 1
俊邕は昭聖王である。 ― 訳者
17冊封の使いが途中で引き返す
十六年,授俊邕開府儀同三司、檢校太尉、新羅王。令司封郎中、兼御史中丞韋丹持節冊命。丹至鄆州,聞俊邕卒,其子重興立,詔丹還。永貞元年,詔遣兵部郎中元季方持節冊重興爲王。
十六年、俊邕に開府儀同三司・検校太尉・新羅王を授け、司封郎中・兼御史中丞の韋丹に節を持たせて冊命させた。丹が鄆州に至ったとき、俊邕が亡くなり、その子の重興が立ったと聞いたので、詔によって丹を帰らせた。永貞元年、詔によって兵部郎中の元季方を遣わし、節を持たせて重興を王に冊した。
夾注 1
重興は哀荘王である。 ― 訳者
18戻ってきた冊書
元和元年十一月,放宿衛王子金獻忠歸本國,仍加試秘書監。三年,遣使金力奇來朝。其年七月,力奇上言:「貞元十六年,奉詔冊臣故主金俊邕爲新羅王,母申氏爲太妃,妻叔氏爲王妃。冊使韋丹至中路,知俊邕薨,其冊卻回,在中書省。今臣還國,伏請授臣以歸。」敕:「金俊邕等冊,宜令鴻臚寺於中書省受領,至寺宣授與金力奇,令奉歸國。仍賜其叔彥升門戟,令本國准例給。」四年,遣使金陸珍等來朝貢。五年,王子金憲章來朝貢。
元和元年十一月、宿衛していた王子の金献忠を本国に帰し、あわせて試秘書監を加えた。三年、使いの金力奇が来て朝廷に参った。その年の七月、力奇が申し上げた。「貞元十六年、詔を奉じて、臣のもとの主である金俊邕を新羅王に、母の申氏を太妃に、妻の叔氏を王妃に冊されました。ところが冊使の韋丹が途中で俊邕の薨去を知り、その冊書を持ち帰って中書省にあります。いま臣は国へ帰りますので、伏してお願いします。臣にお授けになって持ち帰らせてください。」勅が下った。「金俊邕らの冊書は、鴻臚寺が中書省で受け取り、寺に至って金力奇に宣べ授け、奉じて帰国させよ。あわせてその叔父の彦昇に門戟を賜るので、本国で例に准じて給せよ。」四年、使いの金陸珍らを遣わして朝貢し、五年、王子の金憲章が来て朝貢した。
19憲徳王
七年,重興卒,立其相金彥升爲王,遣使金昌南等來告哀。其年七月,授彥升開府儀同三司、檢校太尉、持節大都督雞林州諸軍事,兼持節充甯海軍使、上柱國、新羅國王,彥升妻貞氏冊爲妃,仍賜其宰相金崇斌等三人戟,亦令本國准例給。兼命職方員外郎、攝御史中丞崔廷侍節弔祭冊立,以其質子金士信副之。
七年、重興が亡くなり、その宰相の金彦昇が立ち、使いの金昌南らを遣わして喪を告げた。その年の七月、彦昇に開府儀同三司・検校太尉・持節大都督鶏林州諸軍事、兼持節充寧海軍使・上柱国・新羅国王を授け、彦昇の妻の貞氏を妃に冊し、あわせてその宰相の金崇斌ら三人に戟を賜り、これも本国で例に准じて給させた。あわせて職方員外郎・摂御史中丞の崔廷に命じて節を持たせ、弔い祭り冊立させ、人質の金士信をその副とした。
夾注 1
金彦昇は憲徳王である。 ― 訳者
20風に流された王子
十一年十一月,其入朝王子金士信等遇惡風,飄至楚州鹽城縣界,淮南節度使李鄘以聞。是歲,新羅饑,其衆一百七十人求食於浙東。十五年十一月,遣使朝貢。
十一年十一月、入朝する王子の金士信らが悪い風に遭い、楚州塩城県の境に流れ着いたので、淮南節度使の李鄘が奏上した。この年、新羅は飢饉になり、その百七十人が浙東に食を求めた。十五年十一月、使いを遣わして朝貢した。
21興徳王とその後
長慶二年十二月,遣使金柱弼朝貢。寶曆元年,其王子金昕來朝。太和元年四月,皆遣使朝貢。五年,金彥升卒,以嗣子金景徽爲開府儀同三司、檢校太尉、使侍節大都督雞林州諸軍事,兼持節充甯海軍使、新羅王;景徽母樸氏爲太妃,妻朴氏爲妃。命太子左諭德、兼御史中丞源寂持節弔祭冊立。開成元年,王子金義琮來謝恩,兼宿衛。二年四月,放還籓,賜物遣之。五年四月,鴻臚寺奏:新羅國告哀,質子及年滿合歸國學生等共一百五人,並放還。會昌元年七月,敕:「歸國新羅官、前入新羅宣慰副使、前充兗州都督府司馬、賜緋魚袋金雲卿,可淄州長史。」
長慶二年十二月、使いの金柱弼を遣わして朝貢し、宝暦元年、その王子の金昕が来て朝廷に参った。太和元年四月、いずれも使いを遣わして朝貢した。五年、金彦昇が亡くなり、跡を継いだ子の金景徽を開府儀同三司・検校太尉・使持節大都督鶏林州諸軍事、兼持節充寧海軍使・新羅王とし、景徽の母の朴氏を太妃に、妻の朴氏を妃とした。太子左諭徳・兼御史中丞の源寂に命じて節を持たせ、弔い祭り冊立させた。開成元年、王子の金義琮が来て恩に謝し、あわせて宿衛した。二年四月、蕃国へ帰らせ、品を賜って送った。五年四月、鴻臚寺が奏上し、新羅国が喪を告げてきたので、人質と年限の満ちた留学生など合わせて百五人を、みな帰国させるとした。会昌元年七月、勅が下った。「帰国する新羅の官、さきに新羅に入った宣慰副使・前の兗州都督府司馬で緋魚袋を賜った金雲卿を、淄州長史とする。」
夾注 1
金景徽は興徳王である。 ― 訳者