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備內

韓非子(韓非の書) 韓非子 · 韓非と後学 · 紀元前3世紀 · 段落 3 · 漢字 931字 · 朗読 3.7分

韓非子(韓非の書) 法家が一堂に集まった書である。商鞅の法と申不害の術と慎到の勢を、韓非が受け継いで一つに編んだ。人は善だから善なのではなく、悪をなしえないから善であると見て、君主が頼るべきは仁ではなく法と術と勢であると説く。 矛盾がここから出た。貫けない盾と貫けないものがない矛を一緒に売る楚の人の話で、堯と舜をともに称えることはできないことを示し、難勢でもう一度、仁と勢をめぐって同じたとえを挙げる。切り株を守って兎を待った宋の人(守株待兎)と、足を二度切られてはじめて玉と認められた和氏の璧も、この書の話である。 語ることの難しさを扱った説難には、龍の喉の下に逆さに生えた鱗の話がある。君主にもそのような鱗があり、触れれば死ぬというのだが、当の韓非自身が秦で獄に捕らわれて死んだ。 存韓には、韓非が秦王に奉った文と、そのすぐ後に李斯が「韓非は韓のために来た者なので、帰してはならない」と奉った文が並べて収められている。一人を死に追いやった文書が、その人の書に一緒に残った。

人主之患在於信人。信人,則制於人。人臣之於其君,非有骨肉之親也,縛於勢而不得不事也。故爲人臣者,窺覘其君心也無須臾之休,而人主怠慠處其上,此世所以有劫君弑主也。爲人主而大信其子,則姦臣得乘於子以成其私,故李兌傅趙王而餓主父。爲人主而大信其妻,則姦臣得乘於妻以成其私,故優施傅麗姬殺申生而立奚齊。夫以妻之近與子之親而猶不可信,則其餘無可信者矣。

君主の患いは人を信じることにある。人を信じれば人に制される。臣がその君に対して骨肉の親しみがあるのではなく、勢いに縛られて仕えずにいられないだけである。だから臣である者はその君の心をうかがうことを片時も休まないのに、主は怠り傲ってその上に座っている。これが世に君を脅し主を殺すことがあるゆえんである。主となって我が子を大いに信じれば、姦な臣が子に乗じてその私を成す。だから李兌が趙王の師となって主父を飢えさせた。主となって我が妻を大いに信じれば、姦な臣が妻に乗じてその私を成す。だから優施が麗姫を助けて申生を殺し奚齊を立てた。妻の近さと子の親しさでさえ信じられないのだから、その他に信じられるものはない。

且萬乘之主,千乘之君,后妃、夫人適子爲太子者,或有欲其君之蚤死者。何以知其然?夫妻者,非有骨肉之恩也,愛則親,不愛則䟽。語曰:「其母好者其子抱。」然則其爲之反也,其母惡者其子釋。丈夫年五十而好色未解也,婦人年三十而美色衰矣。以衰美之婦人事好色之丈夫,則身見䟽賤,而子疑不爲後,此后妃、夫人之所以冀其君之死者也。唯母爲后而子爲主,則令無不行,禁無不止,男女之樂不減於先君,而擅萬乘不疑,此鴆毒扼昧之所以用也。故《桃左春秋》曰:「人主之疾死者不能處半。」人主弗知,則亂多資。故曰:利君死者衆,則人主危。故王良愛馬,越王勾踐愛人,爲戰與駞。醫善吮人之傷,含人之血,非骨肉之親也,利所加也。故輿人成輿,則欲人之富貴;匠人成棺,則欲人之夭死也。非輿人仁而匠人賊也,人不貴,則輿不售;人不死,則棺不買。情非憎人也,利在人之死也。故后妃、夫人太子之黨成而欲君之死也,君不死,則勢不重。情非憎君也,利在君之死也。故人主不可以不加心於利己死者。故日月暈圍於外,其賊在内,備其所憎,禍在所愛。是故明王不舉不參之事,不食非常之食;遠聽而近視以審内外之失,省同異之言以知朋黨之分,偶叄伍之驗以責陳言之實,執後以應前,按法以治衆,衆端以參觀;士無幸賞,無踰行,殺必當,罪不赦,則姦邪無所容其私。

そのうえ万乗の主、千乗の君において、后や夫人、嫡子で太子となった者のうちに、その君が早く死ぬことを望む者がいる。何によってそうと分かるか。妻は骨肉の恩があるのではなく、愛されれば親しく、愛されなければ遠ざかる。古い言葉に「その母が寵を受ければその子は抱かれる」という。とすればその裏は、その母が憎まれればその子は放り出されるということである。男は五十になっても色を好む心が解けないが、女は三十で美しい色が衰える。衰えた美しさの女が色を好む男に仕えれば、身は遠ざけられ賤しめられ、子が跡継ぎになれないのではと疑う。これが后や夫人がその君の死を望むゆえんである。ただ母が后となり子が主となれば、命は行われないことがなく、禁は止まらないことがなく、男女の楽しみは先君の時より減らず、万乗を勝手にしても疑われない。これが毒薬と絞殺が用いられるゆえんである。だから『桃左春秋』に「主で病で死ぬ者は半分にも及ばない」という。主がこれを知らなければ、乱れに資が多くなる。だから言う。君の死を利とする者が多ければ、主は危うい。王良が馬を愛し、越王句践が人を愛したのは、戦いと走りのためである。医者が人の傷をよく吸い、人の血を口に含むのは、骨肉の親しみがあるからではなく、利が加わるからである。だから車を作る者は車を作れば人が富み貴くなることを望み、棺を作る者は棺を作れば人が早く死ぬことを望む。車を作る者が仁で棺を作る者が賊なのではなく、人が貴くならなければ車が売れず、人が死ななければ棺が買われないからである。心が人を憎んでいるのではなく、利が人の死にあるからである。だから后や夫人や太子の党ができれば君の死を望む。君が死ななければ、その勢いが重くならないからである。心が君を憎んでいるのではなく、利が君の死にあるからである。だから主は、自分の死を利とする者に心を向けないわけにはいかない。だから日や月が外に暈をめぐらせていれば、その賊は内にいる。憎む者に備えていれば、災いは愛する者のところにある。だから明らかな王は、照らし合わせて確かめていない事を取り上げず、いつもと違う食べ物を食べない。遠くを聞き近くを見て内外の落ち度を審らかにし、同じ言と異なる言を調べて党の分かれ目を知り、三つ五つに照らし合わせた確かめを組み合わせて述べられた言の実を責め、後を握って前に応じ、法に照らして衆を治め、多くの糸口から照らし合わせて見る。士にまぐれの賞がなく、越えた行いがなく、殺すことが必ず当たり、罪を赦さなければ、姦邪はその私を容れるところがない。

徭役多則民苦,民苦則權勢起,權勢起則復除重,復除重則貴人富。苦民以富貴人,起勢以藉人臣,非天下長利也。故曰:徭役少則民安,民安則下無重權,下無重權則權勢滅,權勢滅則德在上矣。今夫水之勝火亦明矣,然而釜鬵間之,水煎沸竭盡其上,而火得熾盛焚其下,水失其所以勝者矣。今夫治之禁姦又明於此,然守法之臣爲釜鬵之行,則法獨明於胷中,而已失其所以禁姦者矣。上古之傳言,《春秋》所記,犯法爲逆以成大姦者,未嘗不從尊貴之臣也。然而法令之所以備,刑罰之所以誅,常於卑賤,是以其民絶望,無所告愬。大臣比周,蔽上爲一,陰相善而陽相惡,以示無私,相爲耳目,以候主隙,人主掩蔽,無道得聞,有主名而無實,臣專法而行之,周天子是也。偏借其權勢,則上下易位矣,此言人臣之不可借權勢也。

賦役が多ければ民は苦しみ、民が苦しめば権勢が起こり、権勢が起これば免除が重くなり、免除が重くなれば貴い人が富む。民を苦しめて貴い人を富ませ、勢いを起こして臣に資を与えるのは、天下の長い利ではない。だから言う。賦役が少なければ民は安らかで、民が安らかなら下に重い権がなく、下に重い権がなければ権勢は消え、権勢が消えれば徳は上にある。水が火に勝つのは明らかであるのに、釜や甑がそのあいだに入ると、水はその上で煮えて尽き、火はその下で盛んに燃えて、水は勝つゆえんを失う。治まりが姦を禁じるのはこれよりさらに明らかであるのに、法を守る臣が釜や甑のふるまいをすれば、法はひとり胸の内で明らかなだけで、すでに姦を禁じるゆえんを失っている。遠いいにしえからの伝えや『春秋』の記すところ、法を犯し逆らって大きな姦を成した者が、尊く貴い臣から出なかったことはない。ところが法令が備える先、刑罰が誅する先は、いつも低く賤しい者である。だからその民は望みを断たれ、訴えるところがない。大臣が党を組み、上を覆って一つになり、内では互いに好みながら外では互いに憎むふりをして私がないことを見せ、互いに耳と目となって主の隙をうかがう。主は覆い隠されて聞く手だてがなく、主の名があって実がなく、臣が法を専らにして行う。周の天子がそれである。その権勢を偏って貸せば、上と下は位を取り替える。これは臣に権勢を貸してはならないということを言っている。